ヒットラー最後の12日間を見てきた。あまり上映している映画館は多くないようだ。その理由は「ホテルルワンダ」が日本で上映されなかったことと同じようなものだろう。終戦記念日が先週、そして個人的にアメリカの歴史の授業を終えたばかり、ということで、最近は戦争について考えさせられることが多い。ここで多くのことを語ってしまうと、ネタバレになってしまうので(周知の事実かもしれないが。)あまり多くは書かない。
しかしもしあのヒットラーのセリフが事実なら(多分事実だろう)何かが人として間違っているかなりカタワな人間である。大虐殺をして、ユダヤ人を抹殺したことだけは、間違いなく良いことだったと言い切れる、間違った信念。「市民のことなど考えなくていい、できのいいものはもう死んでいるから」とは、一体何が判断基準だったのだろうか?所詮単なる人である人が、他の民族や人を、優秀な民族(人)あるいは劣った民族(人)と判断できる厚かましさは一体どこからきたのだろう?恐らくヒットラー自身は、優秀でない自分に悩み、相当卑屈な人だったのではないだろうか。本当に優秀な人なら、敢えて他人をわざわざ狭い尺度で測ったりしないだろう。
あの映画だけを見ると、ヒットラーの最後の憂鬱や恐怖心・猜疑心がクローズアップされ、ヒットラーの人となりに多少なりとも同情の余地はあるように感じてしまうが、私はそんなことは許されないと思う。自殺なんて、ヒットラーにとって格好良すぎる死だ。どれほどの人がどれだけ苦しんだか、そしてヨーロッパでの第2次大戦の死者の数や虐殺されたユダヤ人のことを考えてみれば、自殺なんてヒットラーには、もったいなさすぎる素晴らしすぎる死に方である。
アウシュビッツへ行ったときのことが思い出された。あの吐き気がする死者の臭いのこもった部屋、死者の髪で作られた布、それがこんなちっぽけな男の曲がった思想により、作られたのかと思うと悲しすぎる。
ドイツ人と日本人は、なんとなく似ていたような気がする。忠誠心が強い。ただ間違ったものを盲目的に信じてしまうと、本当に不幸だ。
原作本があるそうなので、読んでみようと思う。驚いたのは、この映画の登場人物の多くの人が最近まで生きていたということ。私がベルリンに行ったのが、7年前。その頃まだこれらの人がドイツのどこかでひっそり生きていたらしい。戦争は、実は私が思うよりも、それほど遠い昔でもなかったようだ。