今日は金曜日だというのに、レストランがあまり忙しくなかったので、夜8時少し過ぎに帰っていいと言われてしまった。ちょっと嬉しい。オーナーの奥さんが韓国から帰ってきたので、来週からはもう働けなくなることを伝えた。先日面接に行ったレストランで来週の木曜日から働くことにした。
明日で止めてしまうレストランだが、ウェイトレスは皆いい友人で、キッチンスタッフも、お皿洗いの男の子たちもいい子ばかり。全てに慣れているので、本当はこのまま続けたいのだが、あまりにもチップが少なすぎて、このままでは生活が成り立たない。
私は最近考え直したことがある。それはアメリカ人はあまり気が利かないと思っていたことである。前にブログにも書いたけれど、ウェイトレスとして一緒に働いているローラはそこら辺の日本人よりもよっぽど気が利く。お皿洗いの15歳の男の子たちも、留学でアメリカにやってきた、まるでしつけのなっていない20歳くらいの日本人男の子たちより遥かにまともである。私はついつい、15歳のアメリカ労働少年を日本や韓国の男の子たちと比較してしまう。最近感じているこの少年の違いについて書いてみる。
お皿洗いの男の子たちは年齢を問わずフレンドリーで、感じがいい。15歳で学校へ行きながら働くのは大変だと思う。(今は夏休みだが。)仕事の態度も真面目で、掃除もきちんときれいになるまでするし、周りのこともよく見えている。彼らを見ていると、偉いなー、私はいつも感心するのだ。
一方日本からの留学生には、男の子も女の子も何もできない人が多いことに驚される。掃除ができない、料理がまるでできない、つまり身の回りのことが何もできないのだ。お母さんが全てやっていたのだろう。もちろん例外はあるが個人的な印象としては、専業主婦の人の子供はあまり家事ができない。私としては最低限のことは自分でできるように育てないと、その子供が将来的に気の毒な気がする。一生そのままの生活が送れる保障がないからだ。
明日で帰国する韓国人のルームメイトは、本当に何もできなかった。かなり驚かされた。シャワーを浴びれば、信じられないほどの髪の毛がそのままバスタブにひっついている。裏庭でタバコを吸い、投げ捨てる。トイレでタバコを吸う。トイレは汚してもそのまま。あちこちに飲みかけのカップが置きっぱなし。シンクに食べ終わった肉つきの骨を置いておく。(どうしてゴミ箱に捨てないのか。)テレビや電気はいつもあちこちつけっ放し。
悪い子ではない。どちらかと言うといい子だ。頭も良く、注意すればきちんと話も聞くし、礼儀も正しい。「どうして彼はあんなに何もできないのだろう?」と同じ韓国人のYoung Miにこぼしていたところ、それは典型的な韓国人の若い男の子だから、と言われた。韓国では男の子が家中から王様みたいにちやほやされて、彼らのママが全部やってあげるらしい。そうして何もできない男の子が出来上がるらしい。たとえママが働いていたとしても、ママは自分が忙しくても、男の子の身の回りの世話は何でもやってあげるらしい。そういった男の子たちもミリタリーサービスを経験すると、変わるらしいが、軍隊に入る前の若い子は何もできない人が多いらしい。
学校で仕事をしていると、全く人の話を聞いていない新入生が多いことに気付く。そしてなぜかそれは男の子に多い。韓国人、日本人の男の留学生には、おーい、大丈夫か?と言いたくなってしまう学生が多い。(もちろん韓国人と日本人は人数が多いから目につくのかもしれないが。)彼らの人任せの態度、言ったことが理解できない(あるいは単に注意力が足りない)、やらなければならないことをきちんと終わらせようとする意志と行動力の欠如。自分のことなのに、どうしてこんなに責任感がなく人任せな人が多いのだろう、と思ってしまう。こんなに人任せで一体将来どうやって生きていくのだろう。
豊かになると、どうしても人としての性能が落ちるような気がする。なんでも簡単に手に入る状況が増えてくると、物の有りがたみ、人へ感謝する気持ちが薄れてくるし、自分で工夫して何かを作り出す能力も落ちてくる。(例えばモノが手に入らない場合、何か代替品を探したり、創作したりする能力)また、それ以下の生活に順応する能力も失ってしまうだろう。人は自分の生活レベルを落とすことには、かなりの抵抗感を持つ。掃除すらできないが快適な生活を送った子供たち、しつけはきちんとされていないがラクしてモノが簡単に手に入る生活を送った子供たち、これからも一生その生活ができるといいね。
しかし、現実はなかなかそうはいかないだろう。一生両親がサポートしてくれるのなら話は別だが、大抵の人は自分でどうにかしなくてはならないだろう。例えば初めて苦労するときが30代だったら、どうするのだろうか。若いときほど順応性はないだろうし、問題が起こったときにきちんと自分自身で対処できるのだろうか。小さい頃からある程度の不自由さを感じながら育った子供と比較して、甘やかされて育った人たちは社会の中でどうやって身の回りの問題に取り組んでいくのだろう。そのときになってもまだ人任せなのだろうか。私は身の回りのことにも責任を持てない人は、それ以上のことにも責任を持てないだろうと思う。だからまるで何もできない留学生を見るたびに、心配になる。もっとご両親は考えたほうがいいのではないだろうか。甘やかすことは、子供の性質を堕落させているのに等しいと私は思う。
アメリカで皿洗いをしている15歳の男の子たちは、日本や韓国の男の子たちよりも生活がラクではないだろう。しかしよほど彼らの方がしっかりした印象を受けるし、何よりも働く苦労を若いうちから知っている。全て親のポケットから出てくる子供たちとは違い、彼らは自分で何かを得ていかなければならないことを知っている。個人の資質としては遥かに彼らの方がポテンシャルが高い。
しかし世の中は不公平なもの。最初から恵まれた立場にいれば、大抵そのままその生活は維持できるようにできているのだ。アメリカにいると、特にそれは顕著だ。そしてなにもできない留学生は、国へ帰り、その後甘い社会で甘く生きていけばいいだけかもしれない。
日本では甘えた人を見るたびに不快になったが、ここではさらに不公平さも感じる。しかしそれでも私は、やはり人は少しばかりの不自由さや満たされなさを感じながら育った方がいいのではないだろうか、と思う。なぜなら15歳の勤労少年たちは、日本や韓国からやって来た、ぼけーっとした少年たちより、遥かにたくましく見えるからだ。
※もちろん私が感心するくらいしっかりしている20歳前後の日本人、韓国人若者もたくさんいます。念のため。