NYCで行きたかった場所はいくつかある。一つ目はEllis Island、二つ目はHarem、そして三つ目はアメリカ自然史博物館。現代美術が大好きな私はもちろんMomaや、The Metropilotan Museum of Artも行きたかったのだが、今回は日程が合わなかった。(月曜日と火曜日は美術館は休みが多い。)
さて私がなぜこの3つに行きたかったと言うと、影響はNHKのラジオ英会話「Hopes, love and dreams in New York」から受けている。その昔、私が7年ぶりに英語の勉強を再会したときに聞いたのがこの年のラジオ英会話だったのだ。もう話がおもしろくて、おもしろくて引き込まれた。ストーリーがどうなっていくか、いつも待ちきれず、発売日には必ず本屋でテキストを購入していたほどはまっていた。
http://www.nhk-book.co.jp/magazine/series/language/02_02/
恐らく1年をきちんと通して聞いたのは、中学1年生のときに基礎英語を聞き始めてから4回ほどしかない。この「Hopes, love and dreams in New York」はその一つだった。
今手元に本がないので(しかも10年前の放送なので)多少の記憶間違いはあるかもしれないが、Ellis IslandはMikeとアフア(スペリングが分からない)がデートしていた場所。アフアが「おばあちゃんはここを通って移民になった。最初はお針子として働いた。」と言うと、Mikeが自分のおじいさんもロシアからやってきたという話をした場所。
Haremはアフアが住んでいた場所。そしてつい先日までHarem Renaissanceの文学を勉強した私としては、ぜひ行かなければと考えていた。アメリカ自然史博物館はひょっとしたら違っているかもしれないが、Mikeがダンスのオーディションに落ちた後、アフアが慰めるために誘った場所だと思う。「ほら、ミイラよ。」とアフアが言うと、Mikeはつまらなさそうに「Very interesting.」と答えるのだ。アフアは最後にカヌーを見に行きましょうとも言っていた。(逆かもしれない。)
もちろん英語のセリフは今ではあまり正確に覚えていないのだが、このシリーズから覚えた表現は山のようにあるのだ。一応当時は丸暗記しようと努力したらしい。今ではほとんど覚えていないと思っていたが、先程ネットで少し聞いてみたところ、「そうそう、そのセリフ全部知っている。」と嬉しくなった。と言うように、この英会話本は私のNYC観光にまで影響を及ぼすことになった。
一番行きたかったのは、Ellis Islandなので朝から行列に並び、乗船するためのチケットを11ドルにて購入した。自由の女神は遠くから眺めた方がいいに決まっているので、それほど興味はなかったのだが、Ellis Islandと自由の女神がある島はセットになって乗船券が売られているので、ついでに立ち寄った。そうそう自由の女神に登りたい人はあらかじめその予約をしていかないとならないとのこと「ネットで予約可能。」と私の前にいた人が、他の人に説明していたので、興味がある人は調べてみるといいかもしれない。
さてEllis Island。まず映画を見た。映画を見るためには、受付でチケットをもらわないといけない。(無料。)映画は当時どのような船でやってきたか、どのように移民が検査されていたか、などがまとめられたドキュメンタリーだった。その後博物館の両サイドに広がる展示をゆっくりと見て回った。一つ一つ読んでいたら、かなり時間がかかった。移民がどのように食事を与えられていたか、その後移民はどこへ向かったか、どのようにアメリカで仕事を始めたかなど、興味深い内容ばかりだった。この博物館には自分の先祖を調べる機械も設置されている。現在のアメリカ人の40%ほどの人はここから旅立っていった人の祖先と言われているらしい。
とてもおもしろい表現があったので、ここに書いてみる。
“Well, I came to America because I heard the streets were paved with gold. When I got here, I found out three things: first, streets weren’t paved with gold; second, they weren’t paved at all; and third, I was expected to pave them.” Old Italian story.
これを言った人は全くおもしろくない状況だったとは思うが、今読んでみると話としてはおもしろい。似たような話はどこにでもある。皆期待を持って、アメリカに来たのだろう。これを言った人のその後はどうなったのだろう。今日博物館に来てこれを見て「ふむ。」と思う人の誰かが、彼の子孫だったりするのかもしれない。
そうそう大正時代の日本人のパスポートも見つけた。これは単なる紙一枚から成るものだった。大正時代にパスポートがあったことに少し驚いた。よく考えてみれば、あって当たり前なのだが、考えたことがなかったのだ。
さて丁寧に見ていたところ、すっかり夕方になってしまった。先日に引き続きまたChina Townを通り、そして今度はLittle Italyへ向かった。おいしいパスタが食べたくなったのだ。驚いたのは、China Town とLittle Italyとの境目。急にガラっと変わるのだ。Little Italyに入った途端、白人がぎっしりとなる。China Townにはアジア人と物好き白人(バックパッカー系)しかいない。しかしLittle Italyと呼ばれる通りに入ると、急に小奇麗な格好の白人ばかりになるのだ。すごい住み分けだ。China Townにはおいしいものがたくさんあるのに、入ってこれない白人が気の毒な気すらしてしまう。しかし文字が読めないのだから、仕方がないか。さて、ここでのパスタはとてもおいしかった。アメリカに来て以来、No.1のパスタだったかもしれない。細い麺だったのだが、ゆですぎずおいしく仕上がっていた。「シェフは全員イタリアから来たイタリア人」と言っていたのは、嘘でなかったかもしれない。
さてこの日も10時間以上立ちっ放し。またしてもビールを飲んで、あっという間に眠りについた私だった。