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哲学のいらない人たち。

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今日、哲学入門本(漫画で解説の方)を読んでいたときにふと思った。この世には哲学なんて、いらない人たちがいる。それは、私の両親である。二人とも見事に全てが自己完結している。

数日前の朝、下の台所に下りて行くと、母が「ねー、これ見てみて。トマトが立っているの。こんなこと珍しいと思わない?何も意識していないのに、これだけ偶然立ったのよー。嬉しいから皆に見せようと思って。」何てことはない、ただ切ったトマトがたまたま立っただけである。母は私に引き続き、さらに父にも見せる。わざわざその一片のトマトだけをまな板の上に残して。

常々思っていたのだが、私の母は日本一(いやひょっとすると世界一)幸せな人だと思う。バカにしているのではない。決して能天気とか天真爛漫とか、世間知らずなわけでもない。人並みに楽あり苦ありして生きてきたし、会社を定年退社まで会社員として勤め上げ、その傍ら日本舞踊の師範にまでなってしまったパワフルな女性である。しかし、このように切ったトマトが立っただけでこんなに喜ぶ人も珍しいだろう。これっぽっちのことが喜べれば、人生は何だって楽しめる。そしてその通り、母の口癖は「毎日幸せだなーって思うのよ。」

生まれつきこういうポジティブに生まれついた人は、周りのことで悩まない。考えても答えが出ないことは考えないのだ。そんな暇があったら、前向きなことにパワーを使うのだ。だから無理だと思われることにだって、無駄な思考時間がない分、まっすぐに突き進める。親子なのだが、私とは全く違った人だ。いつも世間からの疎外感を感じていた私とは、対極に位置する人だった。私は小さい頃、自分の存在や何やら、答えの出ないことばかり考えていた。ま、そういう私もいろいろ病気したりして、今ではまさに「この母にしてこの子あり」というくらいになった。しかし私はここに来るまで道のりは長かった。そして未だに無駄なことを考えるクセは直らない。

母のポジティブさ、強さは哲学をも寄せ付けない。何せ自我なんて考えなくても、自我が母の中ですでに完結しているのだ。周りの評価なんて母の世界にはいらないのである。そしてもう一人、周りの評価がいらない人、私の父。こちらも哲学なんていらない人代表である。私が思う父のすごさは(あくまで推測だが)、「人に何も期待していない」ということだと思う。私はまだまだ未熟者なので、何かがあれば「何でこの人はこういう行動に出るかな?」と人に対して思うことがある。つまり人が自分の思うとおりに行動してくれることを、なんとなく期待しているのだ。口には出さなくても。

しかし父にはそういうものがない(と思う。)人に何も期待しない、こうすれば生きていくのが、実はとても楽になるのではないだろうか。つまり周りのことは何も気にしなくていい。人がどのような行動に出ようと、もともと期待していないから腹も立たない。人は人、自分は自分と心の底からそう思えるのなら、イライラしたり、人をうらやんだり、がっかりすることはまるでなくなるのだ。周りの世界は周りの世界なら、私のように自我と客観的存在のずれで、思い悩んだりもしなくて済む。

彼らにはもともと自分の存在と意識に答えがあるのだ。なので、私の父と母には哲学なんて無用の代物だ。
(かと言って、自分勝手をして周りから嫌われているわけではない。どちらかと言えば人から好かれている方だ。)

そういう哲学のいらない人たちの子供が哲学初体験。一体何を勉強するのだろう?そもそも哲学って一体何なのだろう?普遍的な問題に対して考えるということ?その考える方法を学ぶということ?授業が終わるころに何が学べているのだろう?
何かを学ぶのに、何が学べるのか全く分からないという授業は初めてだ。ドロップせずに最後まで辿り着けることを祈る。いつの間にか、授業開始まであと2週間になった。

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