今日は英語の授業。朝9時にはもう終わってしまうのが、何とも言えず嬉しいところ。今朝は4時起きで、テキスト60ページを一気に読んだ。前にも書いたが、教授は読んできなさいと言った範囲の中から口頭で質問をする。1問に付き少しの時間しか与えられない。恐らく30秒から1分の間くらいの時間だろうか。毎回10問ほど質問するのだが、一瞬にして聞き取って、考えて書き出す力は、やはりアメリカ人に比べると劣るだろう。聞き逃した質問をそのままにしておいたことも一度あったのだが、今日気づいたことが一つ。きちんと全部チェックされて点数がつけられているのだ。ということは聞き逃したからなんて、流暢なことを言っている場合ではなかったのだ。今度からはもう少し真剣に予習していかないとまずいことに気が付いた。そう言えば2回読んでくるようにとインストラクションシートに書いてあったような…。
さて今日の授業で感じたことは、私はアメリカのことを何も知らないということ、そしてアメリカ人との価値観の違いである。今日の英語の授業は最終的に7,8ページのリサーチペーパーを書くことになっている。そのペーパーは何かしらの日常の問題点、リサーチ、そして導き出したその解決方法を人に説得させるための文章となるはずである。今日の授業ではArgumentを人に納得させ、動かすにはそれなりのCredibilityが必要であり、それを支えるのは
Demonstrate Knowledge,
Highlight shared values,
Refer to common experiences,
Build common ground,
Respect readers ということを教えられた(教科書から抜粋)。が、私はクラスメートの発言を聞いていると、アメリカ人と共通なものがほとんどなかったのだ。それでは、私が日本人の発想・観点からアメリカの問題点を指摘したところで、アメリカ人から見ると賛成できない部分が多くなるのは必至だ。もちろん文化を越えた、人としての基本的な部分の共通項はあるが。
ここへ来てから、周りのいろいろな人に助けてもらい、前もって持っていた先入観はほとんど消えたとは思うのだが、それでもどうしてもアメリカ人の価値観と私の価値観は最終的に合わない気が未だにする。何度も言っているが、私はアメリカが嫌いだった。好きではないというレベルではなく、「パワーを持って危険分子を排除する国」という嫌なイメージしか湧かない国だった。普段は穏やかな、私の周りのアメリカ人も、時に力を使うことを肯定する。私はその部分がどうしてもこの国の驕りのように感じてしまう。力で人の心は動かせないと思うのだが、この国の人の発言は時々「危険なものは単に取り除く」という安易な方向に走っているような気がしてならない。もちろんアメリカ人全員について言っているわけではない。日本にだって価値観は人それぞれだ。そしてこのレベルまでの共通価値観はレポートを書くのに必要とされていないのも当たり前だが、少しはアメリカ人的な発想がないとアメリカ人向けのアメリカの問題点についての今度のレポートは書けないかもしれないと考えた。私だって日本にやってきたばかりのアメリカ人に「あれが悪い、こうした方がいい」とアメリカ人的発想で書かれたレポートがあったら、まず読まないだろう。
単に授業中クラスメートの発言を聞いていただけなのだが、共通項があまりにもないことに、自分で驚いた。教授が「自分の得意なこと」を10個書き出させ、それが他人にとって「Value or Not Valueか」、「rare or commonか」と点数を付けさせたのだ。そしてアメリカ人とほとんど共通項がない自分に気づいたのだ。私の価値観は所詮日本の中でしか通用しない。(人としての大事な部分はもちろんどこでも同じだが。)ここにいる以上、少しはアメリカ人的発想、発言に慣れていかないと、人とコミュニケーションを取る際にも、困ることが出てくるかもしれない。新しい文化を全部吸収する必要はないのはもちろんだが、それでもアメリカにいる以上、「どうしてアメリカ人がそれをそう考えるのか」についても少しは学ばないといけないのかもしれない、と今日の授業で思った。
そんなに偏屈な性格ではないとは思っていたのだが、海外で暮らすと思いっきり日本人なことに何度も気づかされる。