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Colonial Latin American History

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今日は今学期に受けたヒストリーの授業について書いてみる。私が取ったクラスは“Colonial Latin American History”。スペインとポルトガルがどのようにラテンアメリカを征服して行ったかの授業だった。

前々からアステカ文明やインカ文明などの本は愛読書だったが、実はそれらの文明が滅びた後のことを全く知らなかったのだった。今日はこの授業で得た知識について簡単にまとめてみる。

スペインは中南米とペルーを主に征服し、ポルトガルはブラジルを征服していった。南米へ進出を始めた頃(1492~)、ポルトガルは既にアフリカ航路を使い、アジアとも交流があった。一方、スペインは出遅れていたため、中南米に新しい航路を見つけようとしていたらしい。

スペインは手始めにカリブ海の島(Española)に移り住み、そこから内陸へと進んでいった。この頃ポルトガルは外国に出遅れたらいかんと思い始め(スペインやフランスの勢力に対抗して)やっとブラジルへ進出することになった。スペインとポルトガルは勝手に南米を東西に2分するthe Line of Tordesillasを決め、そこから西側はスペイン領、東側はポルトガル領などと決めていた。

このスペイン領とポルトガル領の圧倒的な違いは、資源の質と量の違い。メキシコには豊富な銀鉱山(Potosíなど)があった上、そこにはある程度まとまった定住者たちのコミュニティがあった。しかしブラジル周辺では、定住民族が少なく、克服しようにも地元の人を活用しようにも、いかんせん人がいないので難しかった。そのためスペイン人はこの元々あったコミュニティの仕組みを利用することができたのだが、ポルトガル人はそういうことが全くできなかった。

スペイン人は元からあったものをとにかく上手く利用できた。元々あった町の上にスペイン人の町を作った。現地の階級社会をそのまま利用した。現地人の社会は支配者と一般人の層から成り立っていたので、その階層をスペイン統治の下にそっくり取り組んだ。そして現地人支配者を、スペイン人と現地の一般人の仲介役として利用することにした。現地の一般人は現地の支配者層にTributeと労役を提供していたため、これをスペイン人のために提供させることにした。(これがEncomienda制と呼ばれる。)

Encomiendaは最初、スペイン人移住者の人数が少なかったとき、そして現地人の人口が多かったときは機能していたのだが、そのうち人手不足により上手くいかなくなった。大きな理由の一つは、スペイン人が持ち込んだchicken poxにより、抵抗力のなかった現地人の相当数の人口がいなくなってしまったこと。(現地人の人口数は20世紀になるまで征服前の人口数に戻ることはなかった。)その後もいろいろと仕組みを作っていくのだが、長くなるのでちょっとここでは省略。

スペイン人が上手く現地にあったものを利用したり、新たに銀鉱山を見つけたりしたのに対し、ポルトガル人は利用できる資源もない、人もいない、ということで砂糖のプランテーションを始めることにした。砂糖のプランテーションには人手がいる。そして奴隷制度が導入されることになった。始めの頃は奴隷をアフリカから輸入するお金がなかったのだが、段々とプランテーション事業が軌道に乗るに従って、ものすごい数の奴隷がアフリカから連れ去られることになった。17世紀には砂糖がブラジルの輸出品の90%を占めていたので、労働力が必要だった。18世紀には砂糖産業は衰え始めたが、19世紀にはコーヒーが新しい資源となり始め、さらにまた労働力としての奴隷が必要となっていった。(最初はアフリカ人はヨーロッパ人と現地人の仲介役、スーパーバイザーとして使われていたが、最後には人権をまるで無視した扱いをされていたようだ。)

15世紀末から19世紀後半までに600万人のアフリカ人奴隷がthe Americas(この場合はスペインとポルトガル領を指す。)へ連れ去られた。1620年までは10万人ほどだったが、、その後段々と数が増えていった。

教授が書いた資料によると、
16世紀 – 10万人以下
17世紀 – Several hundred thousand
18世紀 – 3 million
19世紀 – 2 million
のアフリカ人がアフリカ大陸からthe Americasへ運ばれた。

しかも男性と女性の比率は3:1などという極端なもので、まるで彼らにreproduceさせようという気はなかったらしい。つまり死ぬまでこき使い、死んだらまた連れてくればいいさ、という考えだったようだ。もちろん途中自由になれるアフリカ人もいたが(主に白人との間に生まれた子供など)、それはまれだったらしい。授業では「Children of God’s Fire」という本を読んだ。これはブラジルでの黒人の奴隷の歴史についての本である。(私は黒人という表現に差別的な意味があると思っていないので、敢えてそのまま使う。)http://www.amazon.com/Children-Gods-Fire-Documentary-History/dp/0271013214
これを読むと、本当にどれだけひどい扱いをポルトガル人がしていたかが、よく分かる。もちろんスペイン人もアフリカ人奴隷を使っていたのだが、ポルトガル人ほどの人数ではなかった。

奴隷制度はその後、いろいろな国で次々に廃止されていくが、全世界で一番最後に廃止したのは、ブラジルだった。それはブラジル経済があまりにもアフリカ人奴隷の労働力に頼りすぎていたため、なかなか廃止ができなかったのだ。廃止前にアフリカ人奴隷の輸入を禁止したのだが、その途端に人数が激減した。つまりこのことは、どれほど死亡率が高かったか、そして繁殖率が低かったかを物語っている。

この歴史の授業「Colonial Latin American History」は、スペイン人とポルトガル人が中南米の現地の人とアフリカ人を、どのように、どれほど搾取していったかを学ぶ授業だった。教授は最後の授業で、「中南米には、鉱山や石油やプランテーションが多くあるにも関わらず、独立後180年以上経っているにも関わらず、全人口の半数以上が貧困状態で暮らしているのはなぜだだか、一人一人考えて欲しい、そしてこの授業で学んだことを一人でも多くの友人に話してほしい。このスペインとポルトガルの占領下の搾取が、現地の人の生活に未だに影響を与えているのだから。」と言っていた。(ちなみに教授はラテンアメリカの人ではない。)

実は私、これほどの人数のアフリカ人が奴隷として、ブラジルへ連れて行かれたことをこの授業を取るまで知らなかった。そしてこれほど現地の人の生活の基盤が乱されたことも、よくは知らなかった。そのため、この授業を取って、とてもよかったと思っている。歴史はつながっていることを再確認し、現在の世界の勢力図にはそれなりの理由があるということを改めて理解するのに役立った。そしてそのことは私のメジャーとも関係してくる。過去があったから、今がこうなっている(こうなってしまった)のだということについて、また新たに考えるきっかけを与えてくれたと思う。今回の授業はたまたまスペイン人とポルトガル人の征服だけに集中した授業だったが、こういう過去の行いはこの2国だけが責められる問題ではなく、かつて力があった国はどこの国も行ってきたことである。人は人を犠牲にしてでも、自分の幸せだけを求める傾向があるのかもしれない。

いろいろ考えさせられ、とてもいい授業だったと思う。

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