今日は昔々私が中学生、高校生だった頃、毎週日曜日テニスをご一緒させていただいていたおじさん(親戚ではない)のお通夜へ行って来た。父と同じまだ67歳である。この7,8年ずっと具合が悪かったそうである。ガンで亡くなったとは思えないくらい穏やかできれいな死に顔だった。もう私は15年くらい会っていない。
私は、幸い周りで亡くなった人が少ないため、お葬式やお通夜など3度ほどしか出席したことがない。祖母、叔母、叔父の葬式くらいだと思う。しかも全ては20年以上昔のできごとである。しかしこれからはきっとこういうことも増えていくだろう。
お焼香を済ませると順番に部屋から追い出され、飲み会の席へ案内される。何だかとても不自然だ。まだお坊さんがお経を唱えているのである。昔のお葬式とはちょっと違う。それとも会場のお葬式とはこういうものなのか。祖母のときは、家へ弔問客がやってきて、出棺のときは本当に祖母を家から送り出すようだった。今日のお葬式は随分と段取りが良すぎて、何だか単なる儀式の一つといった感じだ。いや、実際儀式なのだが、決められたことをただこなすような段取りが何だか気に入らなかった。
ふと考えた。自分が死んだときに連絡してほしい人リストを、私も早く作らなくてはいけないな、と。私が今突然死んだら、両親はどこの誰へ連絡をしていいか全くわからないだろう。今、アメリカでは2家族と1個人が私の荷物を預かってくれている。そして韓国にもアメリカにもメールのやり取りをしている友人が、日本国内のあちこちにも、手紙やメールでやり取りをしている人がいる。そしてこのブログでも私が死んだ際には、お知らせを流していただきたい。
できればお世話になった方や友人に、感謝の気持ちとご挨拶はしてから旅立ちたいが、死んでからでは無理だし、死後にご挨拶回りされても困るだろう。やはり日頃から周りの方々に感謝しつつ生きていこう。