今朝、父と戦時中のことについて会話した。というより、私が一方的に質問攻めにしただけだが。父は昭和13年、東京生まれ、空襲が始まったため、栃木の馬頭というところへ疎開していたそうだ。その疎開先の家の造りや、昔住んでいた東京の家の造り(なんと庭には父の父の手作りと思われる防空壕があったそうだ。しかも6畳くらいの広さ。)などについても聞いた。
父の疎開後、東京の家は空襲に遭い、父の小さい頃の写真などはなくなってしまったらしい。父には一回り上の兄がいるので、「戦争に行かなかったの?」と聞いたところ、乗る予定だった船の前の船が潜水艦に沈められてしまったそうで、そしてその待機中に戦争が終わったらしい。印旛沼(千葉県)でそれぞれの国に帰っていいといわれたその兄は、我孫子(同じく千葉県)に引っ越していた父の家族のもとへ、終戦の2日後にすぐに帰って来たそうだ。
時々父から昔の話を聞く。とても平和なうちの父だが、天皇に対しては不快感を表す。父が小学生の頃は、天皇陛下のいらっしゃる方角へお辞儀、そして先生へお辞儀をした後ではないと、学校へ入れなかったらしい。この頃は天皇は神様だったわけだから。それにしてもどういう状況を経て天皇は神様に祭り上げられてしまったのだろう?実はここら辺のことはよく知らないので、今度じっくり本でも読んでみよう。
もう一人、母の友人の話。彼女はうちの父よりも少し歳が上。戦争が終わった後、教科書を塗りつぶした話をしてくれた。つまりそれまで教えていた歴史や価値観などは嘘だったわけだ。なので、その部分を塗りつぶすように言われたらしい。塗りつぶさなくてはいけないほどの大嘘って、一体何だったんだのだろう?
人の価値観は周りの環境が大きく影響するものだと思う。最初にいろいろと知識を学び始める頃に、歪められた情報を与えられるなんて不幸だ。
先日どこかの雑誌でヤマトの生き残りの人の話を読んだ。死ぬなんてもったいない、生きなければいけない、と言うお話に雑誌を読みながら泣けてきた。その話を読んで、知覧の特攻隊基地跡へ行ったときのことを思い出した。皆お国のために死ねて幸せだと遺書に書いてあった。たった60年ほど前なのに、私達と考えは大きく違う。
教育は恐ろしい。一つの考えを全員に徹底して教えるわけだから、教える側の主観が入ってしまえば、全てが正しいものとは違う方向へ向かって行ってしまう可能性だってあるわけだ。
知識や与えられた情報は、何が本当かは、実際のところ自分で確かめてみないと分からない。全ての人が良心に基づいてだけ行動すると思ったら、大きな間違いだ。自分も日本で教育を受けた日本人なので、なかなか全てを外部の目でしっかり見直すというのは難しいのだが、出来る限り客観的に物事を捉えていく姿勢だけは忘れないようにしたいと思う。