先週の水曜日の授業のとき(昨日私がペーパーを書き終わったクラス)、クラスメートの一人が自分のプレゼンの中で、食肉用の牛が殺されるYou Tubeを流した。彼のテーマは食用肉の飼育がどれほど環境に悪いかについて。
彼曰く、一日でもいいから肉なしで過ごすだけで環境は大分変わるらしい。食用の肉を育てるのには、多くの水や餌(これが半端な量ではなく)、そして排泄物からは周りへの環境汚染(地下水や川へのrunoff)、またガス発生へともつながるそうだ。
とにかくこのビデオが強烈だったので、私はそれ以来肉が食べられなくなってしまった。屠殺は、頭だけが出された機械の中で体が切り刻まれるものと(音が聞こえてきそうな映像だった)、一度体に傷をつけ(この傷がかなりばっくりと切られていて)散々苦しんで死んだ後に、体を分解するというものだった。何でも死んだ後に切った方が、血が勢いよく噴き出さずまわりに汚染が広がるのを少しは防げるらしい。このときに苦しんでいた牛が生々しくって、私はそのシーンが頭から離れなくなってしまったのだ。とにかくその日に肉が食べれないだけでなく、その後食欲も減退させてくれるビデオだった。
私の友人で一人、完全なベジタリアンがいる。彼女は南アフリカから来た人で前は普通に肉を食べていたそうだ。しかし自分の意思でベジタリアンになった。彼女は恐らく環境上の理由でそうなったのだと思う。(私とマイナーが同じなので。)完全なベジタリアンはビタミンB12不足となってしまうのだが、それでも彼女を見ている限り、健康そうである。2歳の子供を抱えて、更に今は第二子を妊娠中。
クラスメートでもう一人、ベジタリアン生活がどれだけ環境にいいか(彼女はもっと食生活と栄養と人口問題からのアプローチだった)をテーマにした人がいた。私はベジタリアンになるほど環境について深く考えてはいないが、それでも確かにそんなに肉を食べる必要はあるのだろうか、とは時々思う。しかし私は日ごろから料理にはスライス肉を少し使うくらいだが。
アメリカは、肉が本当に安い。何でも提供されすぎはよくないだろうと、大きな塊肉をスーパーで見かけるたびに思う。供給される量が多すぎて値段が安くなり、安いから必要以上に買い、生産者は利益を出すために更に売ろうとする。何か、根本が間違っているような気がしてしまう。人間はこういうことばかりをしていると、いつか天罰が下るぞ、と訳も根拠もなく私は時々世の中の行き先を心配してしまう。人間は所詮自然の中の一つ。自然の摂理を壊すような行動は慎みたい。
とにかく今週の金曜日にはステーキを食べることになっているので(卒業式の後、お世話になったアメリカ人カップルをブラジル料理レストランに招待することにしている。アメリカ人はやっぱりステーキかなと思いステーキハウスにしたのだが)、それまでには映像が頭から消えてくれることを祈る。