アメリカはまだ8日なのだが、日本は既に9日。ということは、今日私はまた一つ歳をとる。思ったよりも長生きしていて自分でもときどき自分の歳に驚いてしまう。段々と自分の歳を普段は忘れるようになり、ふとあらためて自分の歳に気づくと、げっ、こんなに長生きしたのに、私ってこの程度なんだ…、と自分の能力の低さに驚くこともしばしば。そして子供の頃から変わっていない部分を自分の中に見ては、ため息をついたり。
恐らくまだまだ先は長いものの、それでももう実際には思っているよりはそんなには長くはないのかな、とも考えてみたり。最近はどこでどうやって私の人生は終わるのだろう、ということも考える。何も悲観しているのではなく、私はいつ自然に帰るのかな、とかその程度なのだが。とにかく好きに生きてきたので、私はいつ死んでもきっと幸せだと思う。
段々年齢とともに物欲がなくなってきて、欲しいものもそれほど欲しいわけではなくなり、そして今ではどうしても欲しいと思うものがほとんどなくなってきてしまった。日常生活で必要とされているものだけを買うだけの生活。時々本を買ったり、ビールを買ったり。
若い頃はバックパッカー(日本国内専門)だったのに、今ではもう旅行にも行かない。(今、アメリカにいるせいもあるが。)そしてどうしてもあの場所に行きたいという強い気持ちもなくなってしまった。いつか行く機会があれば行こう、という程度。人って、年齢や環境とともに、段々変わってくるようだ。
若い頃はずっと頑張る人たちの仲間入りがしたい、と思っていたのだが、実際に自分はそれほど頑張れる人でもないということも分かった。そしてそれほど賢くもないということも。年齢とともに、自分をよく客観的に見ることができるようになったのだろう。きっと昔は頑張ればどうにかなる、という自分への期待もあったのだと思う。しかし今はそういう自分への期待も薄くなってきた。
でもこう思うことが悲しいか、と言うと、そうでもない。実際、年々生きるのがラクになってきている。自分に過剰に期待して、できないと不安になるというような気持ちの揺らぎがなくなったので、落ち着いて物事に取り組めるようになってきた。子供の頃からそういう部分が欠けていたので、じっくり何かができるようになったというのはいいことだろう。
ということで今年の一年の目標は、いろいろなことを、ある程度身につくまでやめない、ということに。学校の授業のためではなく、自分のために自分で勉強し続けようと思う。私の中で最後まで残った欲は、結局知識欲だった。でもそういう人でよかった。自己満足でも、やっぱり私は幸せだと思う。
今年もいい歳でありますように。