今の私にはFacebookは欠かせない。いつの間にか、朝、メールよりも先にチェックするようになっていた。Timelineで確認したところ、私がFacebookを始めたのは、October 27, 2007らしい。UCLAにトランスファーした頃に始めたようだ。紹介されたのは、大昔よくこのブログにも出てきたトルコ人くん。当時、学校では、Facbookをやっていないという人には出会ったことがなかった。学生の間では、それだけ当たり前のように普及していた。授業でクラスメートと仲良くなると、”Facebook me!” で友人となった。(もちろん電話番号の交換もするが。)
私のように留学生だった場合、アメリカ人のみならず、世界中からやってきた留学生と知り合いになる。そして彼らは卒業後、ほとんどの場合、自分の国へ帰っていく。そういった友人たちにまめに連絡は取らないが、誰がどこで何をしているのかが、Facebookのおかげでタイムリーにわかるので、私にとってFacebookのサービスはとてもありがたい。そしてそれは自分から情報を発信しても同じこと。「今、ここでこんなことをしている」と写真をUpすると、その10分後にインドにいる友人から反応がある。さらにロンドンから。遠く離れていても、いつでも会える友達のようにつながっているような気になる。
多分このつながり感こそがFacebookのよいところなのだと思う。私はFacebookの友人を意識的にあまり広げていないので、ほとんどが留学生仲間とアメリカで知り合った人たちばかり。昔の学生時代の友人たちとも交流がしたいのだが、自分の同級生だと、やっている人が極端に少なくなる。かなり前にmixi でも自分の同級生を探したことがあるが、本当に数が少なかった。(mixi は名前からは検索はできないものの。)
何はともあれ、自分は国を離れてしまっているし、日本の友人たちでも外国へ出てしまった人もかなりいる。その上、海外で知り合った人たちは世界のあちこちから来た人たちばかり。普段会えない上に、ひょっとしたら相当頑張らないと、一生もう会えないかもしれない人も多い。が、皆は人生の中の貴重な時間を共に面白おかしく過ごした人たち。そういう人たちが、世界のあちこちで、いろいろと頑張っていたり、バカをやっていたりするのを見ることができるのは、本当にありがたい。人によっては親戚や家族の書き込みが多い人もいるようだが、私はやっぱり学生時代や大昔の友人たちの活躍を見るのが一番楽しみ。
海外に一人で出てきてしまったもので、日本で何不自由なく生活しているときと違って、日常でも気の張った生活をしているのは確か。なので何となく心が許せる昔の友人や学生時代の友人とつるんでいたいらしい。だから私はやっぱりFacebookが欠かせない。