あー、試験が終わった。この開放感、何とも言えず好きだ。今日は試験を2つこなした。
さて、経済の授業、いつものように質疑応答。これが終わったら次は試験か?と思いきや、ところがプレゼンテーションが先だった。試験の答えを忘れてしまうではないか、と思いながらも、プレゼンをこなし、最後に試験。エッセイ試験を選んだのは6人、「○×、四択試験」を選んだ人よりはもちろん時間がかかるのである。しかし私は皆が帰ってしまった後も、一人でまだ教室に残り、エッセイを書いていたのであった。最後には教授まで教室を出て行ってしまい、「5分経ったら、ストップして、私の部屋まで持ってきなさい」と言われてしまったのである。本当に一人で教室に残されてしまったのである。うーん、cheating できてしまうではないか。ま、そんなことはしないが。そして最後に電気を消し、教授の部屋まで試験を届けに行ったのだった。とりあえず書こうと思ったことは、ほとんど書いたと思うが、結果はどうやら?
最初の試験のときは、質問の答え、エッセイ7つをほとんど暗記した。前回の試験は、エッセイ8つを何となく覚えたのであった。そして今回は、暗記するのは止めた。一応エッセイ7つを用意したが、キーワードとエッセイの流れだけを頭に入れ、試験に臨んだのであった。普通のアメリカ人はそうするだろう。エッセイにまとめるまでにそれぞれの問題につき、少なくても1問につき30ページほどの範囲を数回読んでいるし、エッセイにまとめる際に自分の意見も盛り込んでいる。自分で仕上げたエッセイなのだから、多分試験のその場でも書けるだろうと思ったのだ。1時間10分でノート4ページほど、書きまくったのであった。やはり書きたいことが日本語で書くときと違い、思ったように書けないと多少は思ったものの、どうにかなるものである。英文でもほとんど何も考えずに文章が書けたのであった。
教授から授業で教わることはあまりないが、その代わりにテキストを読みまくって、自分で自分なりの答えを導き出し、まとめる。最初はこの授業が終わったら、テキストは売ろうと思っていたのだが(アメリカは本の値段が異常に高い。恐らく日本の2−4倍ほど)こんなに使い込んだテキスト、愛着がわいてしまって、売れません。それに何より、経済は面白いのである。へー、あの政策には根底にこういう理論があったんだ、と学ぶのは、以外に楽しいものである。普段、新聞を読んでいても、あまりこういうことをまとめて学ぶ機会はない。学問として学んで初めてわかったことが沢山ある。毎回試験では苦しんでいるが、それでもそれなりに学ぶ楽しさがあるものである。
授業にもすっかり慣れ、気が付いたらクラスメートの言うことがほとんどわかるようになっていた。それぞれの訛りに慣れたせいもあるだろう。何せアメリカ産まれのアメリカ人は半分ほどと言ったところ。皆それぞれの訛りでそれぞれの英語を話すのだ。最初は自分の英語は果たして通じているのだろうか?とやけに心配したが、恐らく皆も私の訛りに慣れたに違いない。なのであまり気にしなくなった。今日のプレゼンも、特に問題なし。言葉が詰まれば適当に次の言葉を言う。とりあえず話す反射神経が身に付いたようだ。
さて、これを書きながらTVを見ながらビールを2本。3日ぶりである。ベッドに行きたいところであるが、明日からの勉強計画を立ててから寝ようと思う。あさってまでにエッセイを一つ。月曜日までにコンピュータクラスの宿題と試験。2週間後には経済の次のレポート提出。そしていつものように山のような読書が待っている。計画を立てておかないと、自分が今、何をすべきなのかわからなくなってしまうのだ。
あーそれにしてもこの開放感。長いこと忘れていた。仕事をしていてもなかなかこう言った感じは味わえない。それなりに勉強したからこそ得られる達成感だろう。毎日何も考えずにこなしていたら、いつの間にかあと1月で授業も終わるということに気がついた。気が付かない内に2ヵ月半過ぎていたのである。久しぶりの学生生活、後でやっておけばよかったと思わないように(今度こそ)気を抜かずにあと一月も乗り越えよう。