昨晩は友人と図書館で10時まで勉強し、その後も友人宅でお勉強。12:40a.m.だと思って帰宅したら、1:40a.m.だった。時計、ちゃんと直しておいてくださいな。時間が変わって3日も経っているのだから。おかげで今朝はちょっと寝不足気味。
今朝は会計の授業の後、ライティングセンターでTutorさんにエッセイを見てもらった。ライティングの私の最大の弱点の1つは「冠詞」。「声を出してエッセイを読んでみて。」と言われ、音読をした。そうするとNaturalかどうかが分かると言われた。確かに一理あるのだが、感覚的にまだ冠詞の使い方が正しいかどうかわかっていない状態なので、この方法はその点に関しては今ひとつのような気がした。きっとネイティブなら、それで気づくことも多いのだろう。私がわからないのは、例えば"make a mess" など。どうしてこれに冠詞がつくのか、ちっとも分からん。
しかし、音読をするというのは、エッセイをProofreadするのに、他の点でとても有効だと思う。時制が一致していなかったり、分かりづらい文章があったり、単数と複数がごっちゃになっている箇所に気づくことができる。
今日のTutorさんは次から次へすばやく質問と問題点を指摘してくれる方で、
「このthatは何を指すの?こっちの意味?それともこっち?」
「もしこのことを突然持ち出すのなら、もう少し読者に分かりやすく説明が必要。」
「ここの文章のつながりがよく見えない。」
「一方的に例を出すのではなく、何か引き合いにしないとアメリカ人には分からない。」
等々鋭いご意見を頂戴した。他人に分かってもらうには(特に外国人に)、かなりきちんと説明しないといけないのだ、ということに気がついた。発想パターンが違うので、日本人だったら連想して理解してもらえることも、アメリカ人にとってはその2つの事柄の関連性が見えないということがあるということに、改めて気づかされた。
近頃授業中にクラスメートのエッセイを読む機会が多く(未完成のエッセイを交換し、細かく分析し、そのエッセイに必要なものをお互いに教え合う作業)、彼らと比較すると、私のライティングと彼らのライティングは明らかに違う。文法的に正しくても、何となく意味が分かりづらかったり、言葉の選択がネイティブが使う単語と違っていたりするらしい。つまり私に足りないのは、ネイティブの感覚。あぁー、何となく新しい高い壁にぶつかったような気分である。
人の文章を真似したり、いい文章を多読する必要があるなと、最近つくづく思うようになってきた。英文はそこそこ読んでいるが、それはあくまでテキストであって、小説やエッセイの自由な文体とはかなり違う。エクストラクレジット用の小説が今日か明日には配達されることになっているので、その文章を少し書き写したりしてみようかと考えている。もしその文章に好感を持てたらの話だが。
話は変わって、先日友人のトルコ人との会話していたときに、彼が言ったことの中で気になることがあった。それは「時々アメリカ人の中には、外国人が英語を自分達ほど上手く表現できないのを見て、その英語力だけで相手の能力を判断する人がいる。」ということ。まー、そうしたら私のスピーキング能力だったら、恐らく小学生以下として扱われてしまう…。私ははっきり言って、英語で話した自分の言葉に責任は持てない。間違った言葉の選択もあるだろうし、私が知らないもっといい表現もあるだろう。
英語が下手だからといって、それだけで人を判断したりする人は
勿論それほど多くはないが、外国人と話すのに慣れている人とそうでない人はいる。比較的学生は外国人の扱いに慣れているが、学校以外で知り合うアメリカ人は外国人の初心者英語に慣れていない。慣れている人は「私達がうまく表現できないこと」を発想を膨らませて考えてくれ、「私達が言わんとしていること」の本当の意味を理解しようとしてくれるが、慣れていない人は私達の発言をダイレクトに受け止める。(私のルームメイトは典型的な後者。)
例えば私達が適切でない言葉を間違って使っていたとしても、彼らはそのまま言葉どおりの意味を受け止める。これは誤解を招く大きなもとになるかもしれないし、ひょっとしたら私の性格やモノの見方まで、その個々の発言により誤解されてしまうかもしれない。うーん、そう考えたら、私のスピーキング力は非常にマズイ状態にあることに気がついた。(いや、知ってはいたのだが。)
ライティングの訓練に加えて、スピーキングも少し真剣に鍛えなおさないといけない。いつまでたっても、きちんと言おうとしたことがダイレクトに伝えられないようでは、これから先かなり誤解を受けることもあるだろう。以前通訳をしていた知り合いは、「スピーキング力は努力。私は留学から帰国後、日本で自分で訓練して身に付けた。アメリカではリスニング力は伸びたけれど、話す力は努力しなかったために、それほど伸びなかった。」と言っていた。今まさに私はこの台詞の意味がわかったような気がする。
ということで、ライティング、スピーキングと授業以外でも問題は山積み。
しかし鍛えないとどうにもならないのなら、少しずつやっていくしか道はないようだ。
あー、それにしても語学習得の道は長い、長い。