絶対話せる!英会話

冬学期を終えて。

この記事は4分で読めます

一昨日の午後、最後のファイナルを終えた。全て終えてすっきりしたと言いたいところなのだが、最後(金曜日の試験)の出来が悪すぎて今ひとつ晴れ晴れと今学期の終了が喜べない。明らかに勉強不足で全ての問題を完全に解くだけの知識が足りなかった。やはり勉強不足の科目は、成績もそれなりなのは当たり前だろう。他の2科目のファイナルの出来が割とよかっただけに残念である。

しかしそれでも一昨日試験を終えてからは、やはり気分はのんびりモードに突入した。毎日働いているのでそれなりには忙しいが、学期最後の1週間の“やらなくてはいけない、終わらせなくてはならない”というプレッシャーからは解放された。あのプレッシャーは、自分が普段からサボっていればいるほど、大きくなるものだ。

今学期の自分を見直して反省してみようと思う。ついでにトランスファー後の2学期を終えて、ここまでの自分も振り返ってみると、普段から特にサボリがちなのは、メジャーではない科目が多いことに気がつく。

つまり勉強する楽しみがあまり見出せないからこそ、気がつくといつも勉強が遅れてしまっているということらしい。私は大抵のことには何にでも興味が持てる人だが(高校時代苦手だった微積分の授業だってカレッジでは楽しかった)、普段のモチベーションはどうしても好きな科目の方へ向いてしまう。そして凝り性な私の性格が邪魔をして、そこにどんどんとのめりこんでいってしまって、他のことが疎かになるのだ。これは勉強にも限らず全体的な私の短所でもあるのだが。勉強しながら「こんなこと今しなくていいでしょ。これ大事じゃないでしょ。」と自分で自分によく言い聞かせてはみるものの、長年の性格は直らない。

クォーター制は10週間しかないので、一度遅れてしまうと、その進み具合に追いつくのが大変になってしまうと前にここで書いたことがある。しかし実は、クォーター制ではセメスター制よりもサボろうと思えばいくらでもサボれてしまうことに最近気がついた。なぜならクォーター制ではテストだけいい点を取れば、ある程度の成績が見込めるからである。

学校によって異なるとは思うのだが、私がコミカレに通っていたときは16週間の間(セメスター制)に最低5回、多くて15回もクイズがあったし、時間がかかる宿題も多かった。コミカレに通っていたときは、いつも宿題ばかりしていた気さえする。なのでどうしても普段から勉強せざるを得ない状況に置かれていた。学期が長いため、中弛みをさせない先生方の工夫なのかもしれない。一夜漬けで総復習をするには範囲が広すぎるので、普段から少しずつ学習させるクセを教授たちが学生に与えているのかもしれない。

こうやって積み重なったクイズや宿題が成績の一部になった。その積み重ねが多いときには、ファイナルで70点を取れば、もう「A」に手が届くというということもあったほど。私と友人の間では、この余裕状態にいくまでの積み重ねを「貯金」と呼んでいたが、いつもファイナルのときには大抵少しの貯金があった。そのため多くの科目はファイナルで80点ほどを取れば「A」になる計算だった。ところが、クォーター制ではこれができない。

なぜなら2回の試験の結果が成績の多くの部分を占めるからだ。私が今までに取った科目を振り返ってみると、成績は出席が少し(ディスカッションセッションでの発言などを含む)、Midterm, Final Examsが30~45%ほど、そしてペーパーが1~2くらいで構成されていた。中にはMidtermとFinalだけで成績が決まってしまう科目もあるくらいなので、何と言ってもテストではかなりいい成績を取ることが必要とされる。

しかし試験は一通り見直しさえすれば、まずC以下の成績を取ることはないだろうと思われる。(時々タフな教授もいるだろうが、それは例外として。)そのため要領よくテスト前に見直しだけすれば、Bくらいの成績は取れるだろう。テストとペーパーだけが成績の材料となるので、そこだけに焦点を合わせさえすればいいということになる。毎週クイズでいい成績を取り続けるという努力は全く必要とされない。(もちろんメジャーや科目によって異なるだろうが。)なのでサボろうと思えば、いくらでもサボれることになる。試験さえいい点を取ればいいということになるのだ。

もちろん試験でかなりのいい成績を取ろうと思えば、普段からの努力がモノを言うことは間違いがないが、例えそれほどの努力はしなくてもそれなりの点数は取れる。(AはムリだがBくらいならという意味で。)自分の行動を振り返ってみると、明らかに私はコミカレ時代の方が日ごろから勉強していた気がする。クォーター制では結果を示せる場が2回ほどしかないため、その2回の直前以外では、何となく勉強に対する集中力が欠けてしまっているようだ。その結果、普段からあまり集中して勉強をしなくなってしまった。リーディングアサインメントはとりあえずこなしているが、それだけ。読んできなさいと言われない授業に関しては、テスト前に慌てて読むだけである。そのため試験で詳細まで突っ込まれると、分からない。(これを金曜日のファイナルで経験した。)

クォーター制の方がセメスター制よりも自己管理の比重が大きく結果に反映されてしまうような気がしている。それは強制される部分(宿題など)や、日ごろの勉強をしてきたことを示す場(クイズやプレゼン)が少ないために、2度の試験やペーパーに向けての勉強時間以外の時間の使い方は、かなり個人の裁量に任せられているからだ。なので私のようにすぐにだらだらとしてしまう人は、もっと時間の使い方を工夫しないといけない。

トランスファー後はファイナンシャルエイドを受けているため、以前のように19単位取って、月100時間働くといった“勉強もしなくてはならないが、働かないと生活もしていけない”というほど切羽詰った状況ではなくなった。ここら辺の金銭に対する余裕が私の時間配分に影響を与えているようである。(もちろんLAは物価が高いので、今でもギリギリの生活ではあるが。)つまり私はもっと忙しくなるか、あるいはもっと金銭的に生活が厳しい状態にならないと、時間を大切に使わなくなってしまうようだ。

今の生活をまとめると、金銭的にギリギリな生活状態を脱したので、労働時間が減ってきた。労働時間を減らしたところ、時間に余裕ができたので、時間の使い方を工夫しなくなってきた。勉強していてもダラダラと時間を過ごしたり、好きなことだけを勉強するようになってきた。これは時間的余裕があるので、遅れても後で取り返せると考えがどこかにあるからだ。この「後でやればいいや。」という考えが、私の時間の効率を著しく押し下げた。

そして時間的余裕は、私の能率を下げた。余裕ができた時間を生産的に使う努力を怠った。それが今学期のサボりグセの原因である。昨年の夏前までは本当に毎日が忙しくいつも何かに追われていた。そのときは時間をもっと大事に使い、自分の能力の限界点と生産性の向上を日々実感できた。今は全く逆方向へ向かって自分が退化しているようだ。

今学期を振り返って分かることは、時間的余裕が私の生産性を下げたということ。余裕があっても努力を怠らない人はいるだろうが、私はそういうタイプではないらしい。なら私がこういうサボリ癖から抜け出すのためには、生活を忙しくするのが一番いい方法だろうと思われる。

ということで来学期はもう少し自分に負荷を多く与えることにしようと思う。夏の生活費のためにも、もう少し労働時間を増やした方がいいだろう。渡航費もないと、いつまで経っても日本へも帰れない。来学期からはもっと働こう。とりあえずこれが今の私の状態から抜け出す最善策だと思われる。

それにしても、今学期もやはり反省モードで終わってしまった。以前のような充実感には程遠い。

あわせて読みたい

  1. Graduation Ceremony。

    2009年6月13日14:29

  2. SPA1の授業。

    2006年3月18日0:00

  3. 今日から授業。

    2006年2月14日0:00

  4. キャリアセンター。

    2008年1月24日10:22

  5. たまには休講も…。

    2005年3月10日0:00

英会話のスマホアプリ、作りました。

「絶対話せる!英会話」無料アプリ ★アメリカ生活の中で、実際に使われている英語表現をお届けしている無料スマホアプリです。11回目以降の音声は、このウェブサイトにて無料で聞くことができます。 こちらからどうぞ。

YouTube – 英語・発音・アメリカ生活

これをしないとあなたは英語が話せない

応援、ありがとうございます。

RETURN TOP
error: Content is protected !!