4月9日付のこんな記事を見つけた。http://www.afpbb.com/article/pressrelease/contribution/2375796/2813106
そして、『Google Earth』をダウンロードしてみた。http://www.unhcr.org/events/47f48dc92.html
それで実際にダルフールをGoogle Earthで見てみた。(UNCHRの下のほうにリンクが貼ってある。)何か事件があったところがマークされているのだが、もう重なりすぎて何が何だか分からない。重なっている状態を見ていると、丸いものを沢山見ると背中がかゆくなってしまう私には、たまらなく不快なほどのマークの数である。相当拡大しないと、実際に何があったのか、よく分からないほど、マークがうじゃうじゃと立っている。やっと文字が見える辺りになると、「Destroyed」「Destroyed」「Destroyed」…と文字がこれでもか、と言うほど書かれている。
よくもこれだけ破壊できたという事実に改めて驚く。マークの間にUNHCRのマークがあり、そこをクリックすると、現地の最近の情報などがビデオで見られるようになっている。これだけ世界中の注目が集まっているにも関わらず、未だにJanjaweedの活動が収まらないのはどうしてだろう。以前Darfurの映画を見たときに、彼らのインタビューが出てきた。彼らは自分たちの破壊行動について何も考えていないようだった。「命令がある。そのとおりにそこへ行き、ただ全てを破壊するだけだ。危険な人がいる。ただ殺すだけだ。」と言っていた。国をどうしようとか、人の命は自分達の命と同じであるという考えは、彼らにはまるで備わっていない。
一昨日読んだ本に出てきたPinochet軍事政権下の兵士の態度も全く同じである。ただ命令があるから、やるだけ。誘拐も、拷問も、レイプも、殺人も、死体遺棄も、人が存在していた証拠隠滅も。
民主的に選挙で選ばれた大統領を、社会主義者だったというだけで、軍隊がクーデターを起こせるお膳立てをしてあげたアメリカ政府の地下工作 (ニクソン大統領のCIAへの命令) には本当に驚いてしまう。教授曰く、クーデターが起きたときチリの大統領官邸の上にはアメリカ軍のヘリコプターが飛んでいたそうだ。そしてこの官邸の中で元大統領は軍隊により殺されたらしい。民主的に選挙で選ばれた大統領の政権を倒す手伝いを、Marxistだったというだけで他の国がしていいものだろうか?
私が更に理解に苦しむのは、アメリカに従って、簡単にこの軍事独裁政権を政府として認めた日本政府の反応である。一体何を考えて軍事クーデターを起こした者が作った政府を、一国の政府として承認することに決めたのだろう。軍事政権が平和をもたらすことがないということを、日本政府は戦争から学ばなかったのだろうか。
少し話は変わるのだが、私はどんな理由があったとしても戦争には賛成しない。正義のための戦争なんてありえるはずはない。国のためだったら人を殺していいなんていう考えは、大きな間違いだ。私の前のルームメイトの旦那さんとなった人は、戦争中に6人の人を殺したそうだ。その彼が私のルームメイトと結婚することになったとき私が思ったことは、「人殺しが裁かれもせずに、幸せになろうとしていいのだろうか?」ということだった。戦争中だろうが何だろうが、6人の人の命を奪ったことに代わりはない。その殺された一人一人の人には家族やその人の生活ががあったはずだ。彼らは一個人として自由に生きる権利を持っていた。それを彼は理由は何であれ、世界にたった一人しか存在していない個人の命を6人も奪ったのである。それが戦争中だから許されるなんていう考えは、私には全く理解が出来ない。戦争中だろうが何だろうが、殺人は殺人である。
アメリカでは軍人がやけに美化されていて、国のヒーローのように扱われているが、私はそれをとても疑問に思う。もちろん軍隊も復興援助をしたり、収集がつかなくなった国際関係などを改善する方向に持っていくのに役立つことはあるだろうが、歴史を振り返ってみると、軍隊は統合された破壊行為や集団殺人をするために作られた組織である。軍事活動で爆弾一つ落とせば、何人の人が一瞬にして死ぬことか。この組織的な破壊を可能にしているのが、武器である。より武器を保持している者が、持っていない者を制するのだ。
武器は他の地域への直接の攻撃として、脅しとして使われるのには、とても有効だろう。実際、冷戦時代にはこれが双方ともエスカレートして、地球滅亡への秒読みなどがあちこちで見られた。武器を持っているもの同士が、武器を持つことでお互いの脅威になろうとしたわけだ。しかし、これを個人レベルに置き換えてみると、攻撃や脅しは立派な行為だろうか?個人間でも明らかに人としての品位を落とす行為は、国家間でも同じだろうと思う。
話を元に戻すと、軍事政権や武力を持ったものが、あちこちでやりたい放題で殺戮や破壊を行ってきているわけだ。こういう行為を平気でできてしまう彼らには、人としての当たり前の感情を育くめる環境がなかったのだろうと思われる。困窮状態からの脱出、若いうちの洗脳、日常生活の不満、欲深さなどが彼らの人格形成に貢献してしまったのかもしれない。しかしこういう状態の人間が武器を持ったら恐い。人の痛みを分からないということは、何でもできてしまうということだ。
そしてそういう人たちに一体誰が武器を提供しているのか。南米ではアメリカ軍が武器を提供していた。スーダンには中国がもたらしているとも言われているが、中国政府は否定しているし、詳細は分からない。先日タンザニアのドキュメンタリー映画(Darwin’s nightmare)を見た。タンザニアで取れる魚は切り身にされた後、EU諸国へ運ばれるそうだ。EUから飛行機が飛んで来るときは(どこの国かは不明)、飛行機の中身が空っぽと現地の人は考えているようだが、実は武器が運ばれてきているらしい。生産品(食糧)を輸入する一方、EUはアフリカへ非生産的活動にしか使われないもの(武器)を輸出しているらしい。とにかく世の中には、武器を売りたい人と、武器を売って儲けたい人が沢山いるようだ。
武器を売っている人はおそらく「それは使う人の判断次第」と言うかもしれないが、武器というものは生き物を殺すために作られたものである。人を簡単に殺すことのできるものを生産し、利益を得る。私はそういう生産者こそが罪深いと思う。
(長いので Part 2へ続きます。)