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不自然な緑。

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昨日は温泉へ行ってきた。正確に言うと、天然水ではあるものの、それを沸かしているので厳密には温泉ではないが、4時間ぬるーいお湯に浸っていたら、かなり体が軽くなった。私が去年から行くのは、いつもDesert Hot Spring。LAから行くと、Palm Springの少し手前である。Palm Springと違って、ここはひなびているので、いつも空いているし、安い。

日曜日にも同じ温泉へ向かったのだが、なぜかひどい渋滞で、その日は諦めた。その代わり戻ってくる途中に、温泉という文字の入った看板があったので、その方向へ向かって走ってみた。この日は結果としてカジノにたどり着いたのだが、そこへ向かうまでの途中の道は平坦な広い土地に道路が一本はあるだけ。両側のはるか先には小さな山が連なっている。青空とハゲ山のコントラストがきれいだ。(南CAの内陸は砂漠地帯なので、雨が全く降らない今の時期はところどころにしか木がない。)

そこら辺は私が前に住んでいた町からそれほど離れていない。その町から東へ少し走ると、すぐに荒れた土地と小さな丘が連なる景色になる。LAから車で1時間半少し走るだけでこんなに何もない風景に変わってしまうのかと考えると、何もなかった土地に(LAなど)人が作り上げた文明に感心してしまう。が、その反面やり過ぎなんじゃないか、と思うこともよくある。その一つが嘘っぽい緑だ。

日本から帰ってきて驚くのは、CA(LA周辺)の緑の少なさである。学校や公園や整備された道には多少の木や芝生はあるものの、日本のような樹齢何百年の木が連なるような風景はまずない。しかもそれらの芝生や木はスプリンクラーに頼って生きているに過ぎず、自然に生える木や植物などは本当にごくわずかだ。CAでは水不足だといつも言われているにも関わらず、こうしたスプリンクラーによる水やりはLA周辺の家では必ず行われている。自分の手で水を上げている人など見たことがない。そして芝を刈っているのは、ヒスパニック。全く自分で手をかけずにLA近郊の人たちは、お金で緑を保っている。

確かに緑はあった方が気持ちがいいだろうが、元々緑の育たない土地に無理に芝生を植えて、水を毎日上げすぎるほどスプリンクラーで水をまき、CAの太陽の下でどんどん育たせ、そして少しでも伸びたらすぐに刈るということが何だかおかしいと思うのは私だけだろうか。そういうとても不自然な自然がLA周辺の緑である。資源の無駄だし、その土地の自然へも不調和な緑だ。

元々CAの丘や山にあるChaparral(低木)は火事では燃えやすい木のため、住宅地には向かない。そのため緑を保つために、元々存在しなかった芝や木を植えているのだろう。一軒家には芝がないとダメだという決まりでもあるのだろうか。どの家も必ず庭には芝とスプリンクラーがある。私は、「水不足なのでスプリンクラーの水の栓を少し閉めましょう」などという州政府によるラジオ広告を聞く度に、個人宅の芝生を禁止してしまえばいいのに、といつも思っていた。いくらそれがその家のステータスを表すとはいえ何も無理に芝をいつも最適の状態に保っておく必要はないだろう。(アパートなどでは芝の手入れをしないとダメという規則もあると聞いたことがあるのだが。)

先日偶然話をしていた人から、どこかの州ではスプリンクラーでの植物への水遣りは禁止になったと聞いた。(どこの州だったかは忘れてしまったのだが。)手での水遣りはOKとのこと。そこでグーグルしてみたら、アメリカのいくつかの州やオーストラリアでは時期的に禁止令が出ることがあるらしい。考えてみたらもっともなこと。スプリンクラーを使って水をただ流しっぱなしにしているから、水が無駄なのであって(時々関係のないところへ水がまかれているし)、自分で芝や植物を保ちたければ自分で水をまけばいい。

農作物を作るという生産のために水が使われるのならともかく、水不足と叫ばれている中、個人の家の自己満足のために、伸ばしては刈る、伸ばしては刈る、を繰り返す意味が私にはわからない。(CAは日照時間が長いので育つのが異常に早いわけだし。)そんなに外観を大事と考えるのなら、自分で水を上げればいい。そうするとどれだけ水が使われているかも分かるというものだろう。それにすぐに刈るためだけのために芝を育てるのなら、芝を止めればいいのに。代わりに長い期間かけて育てられる花を植えてみるとか。LA辺りだと季節の変化が少ないから、花によって季節感や自然を楽しむという感覚が、一般の人の間には欠如しているのかもしれない。

ま、何にせよ、緑がないのなら、緑がない自然を楽しめばいいのに、と日曜日はハゲ山の間をドライブをしながら思った。それはそれでいいものである。私は確かに日本の緑が恋しいが、環境を無理に変えてまで緑が欲しいとは思わない。自分で手のかけられる程度になら、植物は育ててもいいだろうが、スプリンクラーなんてちょっと怠けすぎだろう。大きなお屋敷ならともかく。私がもし庭を持つことがあったなら、庭には石を敷き詰めてやる、なんて考えてみたりして。しかしそうすると、危険だ、と近所から訴えられたりして。

イギリスの田舎で見た一面に広がる芝はきれいだったけれども、LA近郊の芝はどうも嘘っぽい。確かに見た目はいいかもしれないが、刈るために育てるという発想が、私にはどうも分からない。

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