具合が悪かったので、木曜日と土曜日は一日中ベッドで過ごした。熱があったようで節々に力があまり入らなかったので、仕方なくずっとベッドで横になっていた。眠ったり起きたりしていたが、起きている間は暇だったので、普段読まない本(難しくなく、英語でないもの)を読んだ。
そのときに読んだ1冊目が、この本「記憶力を強くする」。とてもおもしろかった。昔から脳の働きには興味を持っていたので、そして以前サイコロジーの授業を取ったときに学んだことがいろいろ出てきたので、「そうか、日本語ではこういうのか」と復習したような気分にもなった。
そして、なぜ私が子供の頃から高校にかけて、そして大人になるにつれて、自分の頭の働きが悪いと実感するようになってきたかを、理解することができた。
本によると(以下、本からの要約)、記憶にはさまざまな種類があって、それぞれが人の成長と関連している。子供の頃は、意味記憶(知識の記憶力)がよく発達している。一方エピソード記憶は、ある程度の年齢に達しないと完成しない。つまり子供の頃は論理めいたことではなく、意味のない文字や絵や音に対して絶大な記憶力がある。しかし大人になってからは、そういう記憶力は衰える。中学生頃までは丸暗記でもテストを乗り切れるが、そのような丸暗記は大人になるにつれて、通用しなくなる。そういう勉強方法を繰り返している人は、「もう若い頃のようには覚えられない」と嘆く。
これを読んで、まさに私の中学生頃までの勉強だ…、と反省した。私はよくテスト前に一夜漬けで丸暗記で(本当に完全に徹夜で一晩で必要事項を丸暗記していた)試験を乗り切っていた。それでも中学生まではほぼ全教科成績もよかったし、勉強方法についてなんて考えてみたこともなかった。この本を読んで、「そうか、こういう勉強しかしていなかったら、私は次の段階(高校)で行き詰ったわけか」と納得した。
中学生の頃、授業で純粋に「へぇ、おもしろい。」と思ったことは、歴史全般、世界地図、生物の一部、そして科学反応式。特に科学反応式のからくりみたいのが分かったときは(しかしなぜか理科の先生ではなく、英語の先生に教えてもらった)、世の中のものすべてが化学反応で説明できると、心底感動した。しかしそういう一部の興味以外は、テスト前に丸暗記するだけで、ほとんどの試験を乗り切ってきた。つまりコツコツと勉強する習慣が全くなかった。塾に行っていたので、宿題はかろうじてやっていたくらい。高校受験勉強は確かにしたけれど、それもやはりほとんど丸暗記で乗り切った。ただ範囲が広かったので、2ヶ月くらいは真剣に勉強したが。
そして高校時代は、英語と歴史以外はほとんど勉強した記憶のない私。夏休みの宿題だって(特に当時大嫌いだった古文とか)夏休みが明けてもまだやっていた。歴史は物心ついた頃から好きだったので、勉強というよりも単に興味の対象だった。
英語の勉強をかろうじてしていたのは、英語の成績が何となく他よりもよかったし、勉強すればするだけ、簡単に成績があがったから。(友人と英語塾に行っていたことも影響。)この頃も、英単語や文法事項の丸暗記などは大得意だった。友人と英単語を覚える競争をすると、絶対に勝つ自信があった。しかし英語の書かれている意味を考えようとか、内容を理解しようなんてことは、これっぽちも考えたことがなかった。英語は私にとって単に学問の一つに過ぎなかった。
こうやって若かりし学生時代を振り返ってみると、私の勉強=丸暗記だったことがよく分かる。そしてそれ以外の勉強方法なんて考えてみたこともなかった。そして段々と、この本の言っているように、意味記憶(知識の記憶力)が衰えてくると、いずれ通用しなくなる、ということを、まさに経験した私。大人になってからは、何で自分はこんなに頭が悪いんだろう?ということで悩むことが多くなった。
本には、「歳を取って、エピソード記憶が発達してくると、丸暗記よりも、むしろ論理だった記憶能力がよく発達してきます。ものごとをよく理解して、その理屈を覚えるという能力です。当然、勉強方法もそうした方針に変えていく必要があります。この努力を怠ると、もはや効率的な学習はできません。そして、授業についていけなくなり、落ちこぼれてしまう可能性すらあります。」(P.190)と書かれている。
まさにこの努力を怠ったのが私。というか、子供の頃は丸暗記だけである程度乗り切れてしまったので、その間違いに気が付かなかった、という方が正しいかもしれない。大人になってからは、よく自分の頭の悪さに絶望した。できる人と自分を比べて諦めて、自分のできの悪さをひたすら悲しんだ。もっと早くこの本に書かれていることを読んでいたなら、もう少し違った学習方法を試してみて、また違う人生があったかもしれないな、とも思う。
しかし幸い、全く異なる国で、異なる環境で、異なる言葉で、異なる勉強方法で、今に至った私。この外国での痛い経験から、理解しないことは覚えられないし、覚えても意味がないという結論に至った。ものすごい遠回りをしたが、これも人生。仕方がない。一生勉強と思えば、少なくても今気が付いてよかったというべきか。更にこの外国での経験は、やってできないことはない、という自信も私に与えてくれたので、この学習体験は今後も前向きに生かされるだろう。
この本を読んでよかったことは2つ。1つ目は、高校生の頃まで記憶力に自信のあった私が、今ではなかなか物が全く覚えられなくなったことは、決して私の問題ではないということ。それは成長の過程によるものだったのだ。
2つ目は、もう若くない私は、理解して、その理屈を覚えないとならない、しかしそういう風に学習すれば、まだまだこれからも学習できる、ということ。
中年の皆さん、まだまだ頑張りましょう。:)