昨日の夜、新しいお家で、新しいルームメイトと「Kill Bill」を観た。新しいルームメイト、Rhioは、タランティーノはアーティストだと言って、彼の大ファンのようである。私もタランティーノには、いつもはっとさせられる。「Kill Bill」、本当に全く内容も知らないで観ていたので、「おっ、千葉真一だ」「あれ?日本語だ」と一々驚いていた。日本語の台詞も現在の口語ではなく、時代劇に出てくるような話し言葉が使われており、一体タランティーノはそういう日本語を使うアイディアをどこから得たのだろう?と感心した。ストーリは大したことはないのだが、すっかりはまって観てしまった。しかし、「死亡遊戯」の衣装をそのまま使って良いのだろうか?そういうものには著作権ってないのだろうか?昔の映画だし、本人も途中でなくなってしまっているからいいのだろうか?私はブルース・リーの映画も好きなので、少し気になる。
そしてUma ThurmanとLucy Liuの刀さばきも、ちょっと気になった。この間観た「ラストサムライ」のTom Cruiseには、はるかに及ばない。ま、映画の趣旨が全く違うとは思うだが、もし2人が見事な立ち振る舞いをしたら、あの雪景色の中での闘いは更に美しくなったのでは?と思った。何はともあれ、続編を観よう。
さて、今度は「ラストサムライ」について。1ヶ月ほど前にアメリカ人に勧められて観た。「ラストサムライ」の中では、日本人がかつて持っていたサムライの美意識、武士道(何だかこう書くと、陳腐になってしまうが、他に言葉がないので仕方がない)がきちんと丁寧に伝えられているような気がした。外国の映画では大抵、日本は外国人の勝手なイメージに合わせていつもねじ曲げられて紹介されているような気がして、いつも「違う、違う、日本はそんなじゃない」と思っていたのだ。「ラストサムライ」ではそれを感じなかった。話はちょっと非現実的だが、映像が重く、そして美しかった。
「ラストサムライ」に対する周り(アメリカ人3人、メキシコ人2人)の評価は高い。精神世界は文化を共有していないと、なかなか伝えづらいものがあると思うのだが、彼らは彼らなりに何かを感じたようだ。丁寧に日本を描いたこういう外国映画がもっと出てくると、外国人の日本に対して持っているイメージも変わるのではないかと思う。いつも「ハラキリ」(そんな言葉、日本では使わないって。)「ゲイシャ」「ニンジャ」なんて言葉ばかりよくアメリカ人に言われるので、少しゲンナリしているのだ。手裏剣だって、「ニンジャスター」という立派な英語がある。忍者については、本当によく質問されるし、時々彼らのほうが詳しい。そんなの日本文化の片鱗にしか過ぎないのに、何でそんなに取り上げられるのか、不思議だ。
さてこの映画を観た私の周りの方々は、皆、小雪は超Hotだと言っていた。何だかHotと言われてしまうと、あの燐とした美しさを本当に理解していただけた?と疑問に思ってしまう。
日本についての映画を外国人と観ていると、終わった後、よく質問される。実は理解しているようでいて(しかもとても感覚的に分かったような気になっているだけ)、意外に物事は知らないのである。そしてその説明すべき文化の微妙なニュアンスをとっさに伝える英語力なんて、私にはないのである。とてもシンプルに限られた語彙の中で、自分でも感覚的にしか理解していないものを、文化を共有していない人に説明するのは、本当に難しい。外国映画の中の日本の取り扱われ方に腹を立てている前に、自分がしっかり自国の文化を理解する方が先だろう。最近、私自身も間違った日本文化を植えつけるのに、一役買ってしまっているような気がしてきた。外国で生活していると、本当に自分自身の知識の薄さをひしひしと感じる。要勉強である。
さ、明日の朝は本当に最後の引越しとなる予定である。ここで過ごすのも今日が最後か…。