昨日は2月3日。あ、豆まきしよ、と突然思い立ち、仕事がオフだったルームメイトに「豆まきしよう」と言い出した。「それは何?」と聞かれ、説明するのに時間がかかった。豆まきの習慣を説明するのは簡単だが、それについて突っ込まれると、私だって節分が本当は何の日か知らないのだ。私の知識と言えば、小学校のとき国語の授業で教わった「次の日が立春、だから2月3日は冬の最後の日」ということだけだ。ということでネットであちこち検索し、節分の起源を調べた。
「節分」と言うのは、文字どおり季「節」を「分」ける日ということで、冬の終わり、そして春を迎える境の日ということになるらしい。(本来は一年に4回あったらしい。)ほぉ、言われてみれば文字はそのとおりだが、そんなこと考えたことがなかった。そして想像どおり、これは旧暦の大晦日にあたるらしい。新年を迎え、年賀状に「迎春」と書くのは、その名残だそうだ。ふむふむ。元々は中国で目に見えない疫病神を祓う儀式、それが日本に伝わり陰陽師が行う儀式となり、いつの間にか疫病神が鬼になったらしい。ここで陰陽師を英語で説明するのに一苦労。そして鬼を説明するのにもまた一苦労。何度も書いているが、文化をシェアしていない人に、新しいもののニュアンスを伝えるのはとても難しい。しかも自分だってよくわかっていないのだ。しどろもどろ陰陽道の説明をしたが、彼は少しは予備知識があったようで、どうにか理解してもらえた。
その後、日本人の友人と会ったときに、(彼女の旦那さんはアメリカ人と日本人のハーフで、彼女はアメリカ在住23年。)鬼を空想上の生き物でDevilみたいなものと説明したと話したところ、「Devilは違うんじゃない?私は子供にmonster と話すわよ。だっていい鬼もいるじゃない。」と指摘を受けた。なので、もちろん訂正しておいた。さてその後、近所のスーパーで塩味の大豆を購入し、豆まきをし、歳の数だけ豆を食べた。ところがまたまた「どうして歳の数だけ食べるの?」と新たな質問が。しかしこれについては答えられなかった。どうしてなのだろうか?どなたかご存知ですか?
豆まきなんてここ数年していなかったが、(しかし実は時々、アパートで一人でもしていた)アメリカでするなんて不思議な気分だ。豆まきと言えば、なぜか私は母を思い出す。でかい声で豆を撒いていた姿を思い出すのだ。豆まきをするときにも元気でパワフルなうちの母。お母様、今年も豆まきしましたか?