昨日図書館で借りてきた時間の使い方の本を読んだ。特に目新しいことはそれほどなかったが、それでももちろん納得することは多い。こういう本を読んで思うことはいつも一つ。「なんで同じ人間なのに、この人はこんなに頑張れるんだー?」ということである。私の場合、こういう本は真似しようと思うのではなく、こんなに忙しい人でもこれだけのことができている、私は何て時間を無駄にしているのだ?と自分自身に渇ッ!を入れるために読むことが多い。
今日はたまたま会社でもこういう話をした。「頑張っている人は皆頑張っているよね。つねに高いモチベーションで、努力をしていて…。」「で、そういう人に限って、自分で「まだまだ」とか言っていたりするんだよねー。」「ねぇ…。どうしたらそういう風になれるんだろうねー。」「あぁ、私も高いモチベーションを持続したいわー。」ってな感じの会話。
彼女が「安定した収入を得ると、どうもダメな気がする。」言ったところで、確かに、と私も思った。安定してくると、人間って安心してしまうところはある。しかし、世の中にはこの本の著者のように、忙しかろうが、お金があろうが、常に上を見て行動できる方がいらっしゃるわけだから、安定したから努力をしないというのは、単に我々一般人の言い訳だろう。しかしそれでも、著者の方がご自分を怠け者とおっしゃっていたので(絶対にそれはあり得ない)それぞれのレベルで皆さん自分の弱さが目につくのだろう。
私はどうしても何もなければ、とことん怠けてしまうタチなので、自己規律の正しい人、自分に厳しい人には本当に頭が下がる。そしてそれは私が30数年生きてきた中でも、実際は数人しかお目にかかったことがない。その中でも、この人は本当にすごい人だなと思ったのは、私の10数年来の同居人くんである。何せ彼は10年以上、私を感心させ続けているのだ。
彼は暇さえあれば、いつも腕立てをしている。歩く。足につけるべき重りを手につけ、鍛えながら包丁を振り回す。(一応、調理師なので。)かなりクセがある人なので、世間の常識からは相当はずれた人とはいわれるが、私から見れば、自分がやることには一切妥協しないスーパーマンのような人である。
彼は独学で全てをマスターしてきた。例えば音楽。彼はピアノ、ドラム、ベース、ギターといろいろな楽器をこなすが、全部独学である。ちなみに楽譜も読めない。音楽をやるのに、楽譜なんて必要がない。耳から聞いたものや、自分が感じたものを音にするだけだ。楽譜なんていうものは耳から聞いたものを音にできない人間が使う道具に過ぎない、と言い放った。そう言われてみると、確かにそれも一理ある。いつもライブでは大酒ばかり飲んでいるが、実は毎日黙々とピアノを引き続けている。練習というより、好きだからやるのだ。
そして料理。彼曰く、自分がこういう味を作ろうと思ったら、おのずとすることが決まる。最初に味を決めれば、何を入れればいいか、何をどうすればいいか、何も迷うことはない、と言うのである。私はこのセリフを聞いたときに、とても驚いた。料理ってそういうものだったのだということが初めて分かったような気がした。そして同時に、この言葉は彼の生き方にも表れているな、と思った。最終目標があれば全てそこに自然につながっていくという彼の言葉と実際の行動に、私は常々感心していたからである。
目覚まし時計をかけたことのない人である。起きるという意志があれば、起きれるんだよ。皆は気合が足りないからそれができないんだ、と言われて、大変耳が痛かったこともある。夏休みの宿題も7月中には全部終わってしまっていたらしい。
彼の場合は生まれたときから好きなこと、やることが決まっていた人であり、あまり一般的にはそういう人はいないと思う。私はいつも彼のような人になりたかったが、それはムリである。それでも彼を見習うところがあると思うのは、いつも最後の部分が決まっていること(到達点と言ったほうがいいか)、それに何が必要かを考え、必要な部分を補う、すぐに補えないものは補う努力をするということ。そしてその目的に近づくために余計なことをいろいろしない。その到達点への思いが強いから、そこへ真っ直ぐに進む。私は、これは彼の意志の力だと思う。
つまり中途半端な私にいつも足りないのは、強い目的意識、そしてそれを成し遂げる意志の力である。意志の力が弱いということは、私の目的意識が弱いのだろう。あー、時間を無駄にしていると悩むよりも、1,000回でも自分に何が必要か、何でそこへ向かうのかを唱える方が、よっぽどましそうだ。
本当に自分が心から望むものなら、人間は自然にそれを求める行動をとる、
と言った同居人くん。
人にとって、時間は資産である、
は本からの引用。
そのとおりでございます。
あー、皆さま、これからも私をお導きください。