あ、まるで私だ、と思った記事がアゴラに出ていた。
http://agora-web.jp/archives/1440700.html
別に自分は宝の原石ではなかったし、例に挙げられているA君のように中学のときに成績は悪くはなかったが、それでもA君が陥っていた状態は、まさに私。そしてその傾向は今でも多少は残っている。
私が特に、自分にそっくり、と思ったのは、以下の部分。
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・いつ指名されるかと緊張してしまい、落ち着いて考えられない
・その結果、授業内容を十分に消化できなくなる
・消化不良だから、小テストの点数が悪くなる
・「自分は頭が悪いのではないか」と自信をなくす
という悪循環に陥ってしまった。特に、理解するまでに時間を要するA君にとって、授業の直後にテストをされるのは本当に大きなプレッシャーになっていた
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私は自分の理解力が人よりも遅いということは、学生のときには感じなかったものの、大人になってから、よく実感してきた。頭の回転の速い人たちが、一度で聞いて理解して、適切な質問をして問題を更に深く掘り下げているのに比べて、私は言葉だけではすぐに理解できないことが多かったからだ。アメリカに来てから取った数学の文章問題などでは、何が質問されているのか言葉だけではよくわからない、ということも、日常茶飯事だった。そんな私は図を描いたり、絵を描いたりしないと、問題点すら理解できないのだ。
幸い大昔の学生時代は、かなり自信のあった短期記憶に助けられて、成績は悪くはなかったが、歳と共にそういう能力を無くすと(これは子供の頃の特権らしい)、自分は本当はとても頭が悪いのではないか、と悩むようになった。他の能力で人並みくらいには多分大丈夫だろうとは思うものの、計算が速かったり、分析力が優れている人たちと比べると、自分は相当劣っていると思っていた。アメリカに来てから勉強を再び始めて気がついたのだが、私は劣っているというよりも、どうも言葉だけでは理解力が少し弱いということに気がついた。絵や漫画で説明されたり、分かりやすく色分けされていたり、視覚的に説明されると、すんなり理解できるのだ。
ゆっくり一人になってから絵を描いたり、図を描いたり、項目に分けていくと、段々とあぁ、そういうことか、ということが理解できる。自分で整理しながら自分の頭と手を使って書かないと分からないのだ。しかし一度理解したことはなかなか忘れない。なので私は、あらかじめ、または授業の後、ゆっくりと一人で勉強する時間が必要なのだ。
ところが、こういう人もいる。私の知り合いの一人は、家では勉強はあまりしなかったが、毎日授業の終わりには授業の内容を全て理解できたらしい。彼は試験勉強なんてしなかった。だから先生が来週試験をするというのが、とてもイヤだったとのこと。来週なんて言わずに今すぐやってくれ、といつも思っていたというのだ。そんな彼に、以前TOEFLを受けるために勉強していたところ、「テストのために勉強するなんて、それはcheating だ。」と言われたことがある。(そんなことを言ったら、今TOEICの点数を上げるために勉強している日本人のほとんどはcheatingをしていることになってしまうだろうが。)こういう彼のような人は、恐らく言葉からの情報の収集量がかなりあるのだろうと思う。そして彼はその国のトップ大学へ進学した。在学中も勉強は授業中に終了させ成績もまずまずで卒業した。羨ましい話だが、どうあがいても私はこういう人にはなれない。
しかし私に光を差してくれた人もいた。その人はUCLAの教授だった。(また医師でもある。)彼は「自分は数学は得意ではなかった。元々問題をすらすらと解けるような子供ではなかった。」と自分のことを語っていた。「お医者さんになるということは、頭が元々よかったわけではないのですか?」と聞いた私に、「時間をかけて理解したんだ。」と笑って言った。私がこの日教授のオフィスを訪れた後、思ったことは、「そっか、すぐに分からなくても、最終的に理解ができればいいんだ。」ということだった。
私が物事を理解するには、頭を整理するために何らかのイメージが必要。それは絵だったり、箇条書きにまとめてみたメモだったり。今となっては、自分に足りない部分を理解しているので、あらかじめ用意しておいたり、普段からそのことを考え続けてある程度まで前もって理解を深めるようにしているので、困ることはない。
やっぱり人それぞれ。全ての人が同じように皆優れた能力を持っていて、賢いわけでもない。仕事だとスピードも大事だが、学校では記事の中にも書かれていたように、理解が早いという尺度からだけではなく、深い理解度を評価するということも大事かも。生徒に自信をつけさせてあげるというのも、先生の大事な仕事ではないかしら?私がUCLAで会った先生のように。