タイトル通り、「Work Cited」。昨晩これのせいでうんざりした私だったが、ひかりさんの日記を拝読して(http://hikariathikari.seesaa.net/)私なんてまだまだ甘いと考えさせられた。自分の意見をほとんど述べる余地のない論文は引用だらけとならざるを得ない。そう考えると、ひかりさんの取り組んでいる法律の論文なんて、それはそれは恐ろしい量のWork Citedだろう。
うさぎさんも今、論文作成中で同じように苦しまれているようだ。それに比べると私のリサーチペーパーなんて、英語の授業で「初めてリサーチペーパーを書く人」を対象にした入門編ペーパーであり、それでこんなにイヤになっていてはこれから先が大変思いやられる。とにかく全部書き方を一つ一つ確認しないといけないのが、面倒なのだ。ある程度慣れている人ならいいのだろうが、私は全く何もわからない。なので、この引用のここには下線、ここにはピリオドとか、本の中から探し出し、決められたとおりに仕上げなくてはならないのである。しかも英語なので分かりづらい。(当たり前か)
今Work Citedを調べていて([Writing Research Papers]というテキスト)更にうんざりすることに気が付いた。私は今、MLA Styleで全てのエッセイやペーパーを書いているのだが、もう一つAPA Styleという書式がある。APAの方がより専門的な内容のペーパーで要求される書式だ。友人のMBAコースのペーパーは全てこれで書かなくてはならない。恐ろしいことに、Work Citedの方法がどうもMLAとAPAでは異なるらしいのだ。「おいっ!統一せんかい!」と叫びたくなる。ま、今のところAPA Styleでペーパーを書く必要はないので、今からうんざりする必要は何もないのだが。しかし何で統一しないのだか不思議である。
これってわざと分かりづらくしているのではないだろうか。アメリカってそういうところあるよなー、なんてふと思う。憲法の改正などがいい例だ。最初に力を持ったものが、自分達の保身を図るため、改正などをしづらくしておくのだ。なのでいつまでもエリートはエリートのまま。つまり、このWork Citedも最初はどこかのエリートがわざと分かりづらく作り、教育を受けていない一般人にはとっつきにくいものにしたのではないだろうか。一定以上の教育を受けた人しか世の中に認められる論文は作成できないようになっているのだ。その決まりごとのレベルに達しないものは、エリートの間では受け入れてもらえないというように。
どう考えても、エッセイや論文を書くのと同じように「Work Cited」に時間をかけなくてはいけないのが、非常にfrustratingなのである。今度からはどこかから何かを引用したら、必ずページ番号と何行目かもきちんと一つずつ書き出しておこう。そして元の文章と自分が作ったSummaryと分かるようなメモを残しておこう。それにしても"Primary Sources"、"Secondary Sources"、"Paraphrased Notes"と全て書き方が異なり、全てこれも細かくどう書くべきか決められているのも、厄介だ。しかもその"Quotation"が4行以上の場合はこのように、それ以下の場合はこのようにとまで細かく決められている。
私は果たして、これらの決まりをマスターしてすらすらとリサーチペーパーや論文が書けるようになるのだろうか?今の授業、ENG-1Aを数回受けても、とてもモノになるとは思えない。日本人がシステマチックなものが好きかと思ったら、アメリカ人はもっと仕組みが好きだったらしい。というか、てんでばらばらな人たちだから、きちんとした決まりごとが必要なのだろうが、細かすぎて唖然とさせられる。割と細かいことが好きなこの性格の私が言っているのだから間違いない。
はぁー、それにしても溜め息の出る作業である。