今日はお昼頃、学校でいろいろな人たちを見かけた。私はイベントやセッションに参加していたので、正確に言うときちんとは見ていないのだが、それでも大きな声が聞こえてきた。
学校の食堂の側に着いたとき、中国人学生が大きな垂れ幕のようなものを手にしているのを見た。チラッと見ただけなのだが、オリンピックへのボイコットなどが叫ばれていることに対しての反対運動らしい。その後旗を持ち自転車を転がしているグループを見た。この人たちはFreedomなどと書かれた黄色いTシャツを着ていた。San Franciscoと書かれていたので、ひょっとしたらSFからLAまで自転車でやってきたのかもしれない。チベット僧のような格好をした人もいた。こちらは恐らく北京オリンピックへのボイコットを呼びかけているグループではないか、と思われる。
1時間後、教室へ向かって歩いていたところ、アフリカ地図のTシャツを着た人たちが何人もいた。アメリカの学校では、イベントへの参加やお知らせを、授業の前に生徒が行うことがある。教授に断って数分、時間をもらうのだ。昨日の授業と同じグループの人が今日もイベントのお知らせを行っていた。アフリカでのエイズの危機を知らせて、援助を呼びかけるイベントらしい。こちらは宗教団体が主催のようだ。
先週はラテンアメリカのイベントがあったようだ。やはり授業の前にイベントのお知らせをしていた。おとといはChinese Student Associationから映画上映会のお知らせをもらった。
私がアメリカの大学に来て感心しているのは、こういう学生の活動である。自分が正しいと思うこと、やりたいこと、主張したいことに関して、こちらの学生は自主的に行動を起こす。人前でイベントの紹介をしたり、通行人にイベント参加を呼びかけたり、とても前向きな態度だ。誰が何と言おうが関係ない、私はこれがやりたい、私はこれが正しいと思うので皆に知らせたい、という気持ちがとても伝わってくる。そしてどんな主張であっても(常識の範囲内なら)、一度は聞いてみる姿勢をこちらの学生は持っている。自分とは違う意見であっても、真剣な態度で主張する人を、アメリカ人は決して馬鹿にしない。こういう態度はとてもいいと思う。日本人なら何か意見を主張したり、活動をしたりするだけで、「アイツうざい。」「ちょっと変わっているから。」だけで片付けられてしまうのではないか、と思う。
前から思っていたのだが、日本人は小さな行動をしても無駄、社会活動は関係ない、と考えている人が多いような気がしている。そのときの世の中の大勢に合ったような当たり障りのない言動や行動が好ましいと大多数の人が考えているような印象を受けるのだ。何か社会活動をしている人のことを、単にアツイ奴と一言で片付けてしまう人が多いような。日本人には、大きな目を持って行動しないというか、自分の身の回りの保全だけを考えている人が多い気がいつもしていた。
特に日本人学生は国外のできごと、しかも自分と全く関係のない世界のことで、自主的に何か活動をしている人は少ないのではないだろうか。こちらの学生のように、常に誰かしら活動しているような状況は見たことがない。アメリカ人学生はこういう行動を自然に起こす。自主的に活動をするという点では、日本人はアメリカ人よりもはるかにpassionが欠けているだろう。自分と全く接点のないことに対してでも、人権を守るためには何かをしなくてはならない、自分にできることから始めよう、というアメリカ人の行動力と積極性は日本人も少し見習った方がいいのではないか、と思う。特に学生は学生のときにしか持つことができない貴重な時間があると思う。
私もこういう活動に触れて、初めて知ったことなどもあった。一人でも多くの人に知らせることにより、社会での認知度も上がるかもしれないし、それが大きな動きの基になるかもしれない。自分ひとりがやってもねぇ、という諦めた態度ではなく、少しでも多くの人に知らせることが力になると考えるアメリカの学生(これには留学生も含んで)の態度を見ていると、私は世の中の将来に対して明るい気持ちになることができる。
社会のできごとに対して正しいと思ったことはとりあえず主張し、人の言っていることには一応何でも耳を傾ける。これは、自分と関係のないことには無関心な人が多い日本人が、見習った方がいいアメリカ人の良い性質だと思う。