(その1からの続きです。)
前ページのAfrican American Languageの表現は、無理やりアフリカ言語を話すことを禁じられ英語を強いられたアフリカ人達が、自分達の言葉の上に英語を無理やりあてはめた結果なのだそうだ。こうした努力にも関わらず、彼らは英語もロクに喋れない、能力の劣った民族であるとレッテルを張られてしまったわけだ。
しかし実際は逆でアフリカの人は今でも幼稚園生くらいの子でも3ヶ国語くらいは話すらしいし、大人では7,8ヶ国語も話す人が多いらしい。彼女の助手のナイジェリア人は12ヶ国語話すらしい。彼らの英語が標準英語と違うのは、教育を受けさせてもらえないにも関わらず、英語を強制された結果に出来上がった新しい英語だからということらしい。なので英語を話しながら、標準英語でない英語を話す人はそれなりの英語教育が必要である。どうもこれがこのプレゼンのメインテーマだったらしい。実は午後の授業のため、途中で抜け出さなければならず、最後まで聞くことができなかった。残念。
少し黒人英語ばかりに力を入れすぎた感じのプレゼンだったのだが、プレゼンターが黒人だったのと、恐らくAfrican American Historyのイベントだったので仕方がない。が、なかなか興味深い内容だった。へぇぇ、だから日本人が話す英語は日本語的な英語になるし、インド人が話す英語はインド的英語になるのね、と納得。そう考えると、やはり完璧な2ヶ国語、3ヶ国語を話すには、生まれてから言語習得する前に、同時に数ヶ国語に慣れ親しまないといけないということになるのかも。そう言えば、6歳より前にバイリンガルになった人と、6歳より後にバイリンガルになった人では、脳の使う部分が違うと昔どこかの記事で読んだことがあった。(事実かどうかは未確認。)
最初に触れた言葉がその人の標準になる。当たり前のようだけれど、よく考えてみるとおもしろいかも。黒人英語がなぜ標準英語と違うのかということなどはあまり考えてみたことがなかった。ただ聞き取りづらいな、と思っていたくらいである。土台があって、歴史が重なって、今の形になっていたらしい。偶然立ち寄ったセミナーだったが、なかなか興味深い話だった。先週からAfrican American Literatureの授業で、人生始まって以来の黒人率の高さの中に身を置いているから、興味が沸いたのかもしれない。ときどきこういう偶然っておもしろいな、と思う。何かに興味を持つと、急に新しい方向に目が行く。そして次から次へと視野が開いていく。だから勉強はやっぱり止められない、と偶然立ち寄ったセミナーに参加してまたまた実感した。