今日はWomen’s Studiesのディスカッションの初顔合わせだった。全部で25名ほどで、そのうち男の子が3人。これから毎週、各グループごとにプレゼンを行っていくらしい。TAが「何月何日にプレゼンを行いたい人?」と生徒に挙手させて、適当に3、4人ずつのグループが9つ出来上がった。私は2月1日のプレゼンで、メンバーは私を含めて3人。
初ディスカッションセッションは、恒例の自己紹介から。その後グループごとに分かれて、「Sex」「Gender」「Sexuality」の定義を考え発表した。そしてリーディングアサインメントでは、何が伝えられようとしていたのかについて皆が意見を言い、TAがまとめて、授業はお開きとなった。このクラスはGEのRequirementにもなるらしく、そのために取っている人も数人はいたが、大抵の人は興味があるので取るようだった。
TAの話によると、Feminismは現在Post Feminismと言われているらしい。Feminismの最初の動きは1900年代前半に起こり、Second Waveは1960年代(大戦後に女性がまた家事へ戻ることを強制されたことにより起こったらしい)、そしてThird Waveは1990年代とのこと。全く知らないな…。
そういえば先日の授業ではとあるショーのビデオを一部見た。Jane Fondaと元Playboy のピンナップガールだった女性(Gloria Steinamと言うらしい)がショーにゲストとして呼ばれ、ショーのホストが、わざわざ二人をキッチンへ連れて行き、そこでインタビューするというもの。(どなたかのブログを利用させていただきます。http://moon-pie.blogspot.com/2006/10/baking-as-feminist-act-part-ii-kiss_18.html)
私は皆が大笑いしても、実はあまり意味が分からなかった。実はこの二人はアメリカのフェミニスト代表と言われる人たちらしい。この二人を通常のスタジオではなくキッチンへ移動させ、料理をさせるというところにフェミニストに対するジョーク(皮肉)があったらしい。私は別にフェミニストだろうが台所に立つだろう、と思っていたので、別に大して何も思わなかったが、男の人に誘導されて台所へ行かざるを得なかったところに笑いがあったらしい。
そして司会者がGloria Steinamに「レモンを絞って。」と言うと、彼女は「私が?」「一緒ならいいわよ。」と言うことで、司会者と二人でレモンを絞る場面があった。これまた笑えるシーンだったらしいのだが、私は別にレモンを絞るくらいのことは、フェミニストとか、男性に指示されたことに不満を持つほどでもないと思ったので、ここでも特に無反応だった。しかしこれまたアメリカ独特の皮肉と笑いが混じっていたらしい。実は私はこのビデオがそれほど面白くなかった。
これは恐らく文化の違いだろうと思う。私なら別にどうってことないよなと思うことが笑いの対象になっていたので、全然面白くなかったのだ。ま、このときはこの二人が有名なフェミニストであることも知らなかったし、司会者がこういう風に笑いを取る人であるということも知らなかったからかもしれない。
自分なら、例え仕事で疲れていても恐らく台所には立つし、たとえ旦那さんに(実際はいないが)仕事の後、何か簡単なことを台所で頼まれたら、特に何も深く考えずにしてあげてしまう気がする。よほどへとへとに疲れているときでない限り、別に大したことではないし。それを「私が女だからこれをさせればいいと思っているわけ?」と一々些細なことに反応していたら、却って疲れてしまう。ま、これはお笑いショーなので、どちらもコミカルに演じていたのだとは思うが、アメリカ人女性と私とは明らかに笑いのツボが違ったようだ。それともアメリカ人女性は、実際にこのショーのように反応する人も多いのだろうか?
そう言えば知り合いのアメリカ人男性で日本人女性はとてもobedientだ、と言う人が数人いる。私はそれは、日本人があまり食って掛かるような性格をした人がいないからだろう、別に従順だというわけではない、と思っていたのだが、「これくらいなら、ま、やってあげてもいいか、争ってもつまらないし。」という私のような態度を取る人がひょっとしたら従順に見えてしまうのかもしれない。私はこれでも日本ではaggressiveな人と言われていたのだが。しかし実際に周りのいろいろな国の女性を見ていて思うのは、やはりアジアの女性(アジアで育った)は、アメリカ人やヨーロッパの女性と比べると自己主張はやはりかなり控えめだと思う。(韓国人女性は除く。そしてこれはあくまでも私の周りの人の割合の話で全ての女性が当てはまるとは言っていない。)
このビデオの話はきっと私が「お茶入れてよ。」と男性上司に命令されて、「私はお茶くみに会社に来て給料もらっているわけじゃないのよ。」と言いたくなるのと同じような状況だったのだろう。あぁ、そう思えば日本でもこういう笑い話はできそうだな。(ちなみに上司に来客が来たときには、私は別に何も考えずにお茶くらい入れていたことは付け加えておく。)しかし私は男性と女性の区別(または差別)がある会社でほとんど働いたことがなかったので、そういう不愉快な思いを特にしたこともない。外資系の会社で働いていたことが多かったせいかもしれない。
アメリカでもフェミニズムというのは、なかなか広まりにくい動きのようだ。コミカレにいたときに、フェミニストのクラブ活動を手伝ったことを思い出す。このときにメンバーの一人が「こういう活動をしていると、どうせそういうヤツは「ugly, freak bxxch!」と言う感じで見られる。」と言っていた。私の友人の一人はコミカレでAmnesty InternationalでPresidentをしている。(こちらの活動も少しだけ手伝った。)何かのときに、彼に“フェミニストと思われる私の顧問教授”の話をしたら、露骨にイヤな顔をされた。普段は温厚な人だっただけに意外な反応だった。しかもアムネスティの活動をしているくらいの人なのに。
私はフェミニズムというのは、日本ではまだまだ定着しないだろうなと思う。私は日本文化がとても好きだが、女性を誰かのDependentとして扱う風潮があるのは好きではない。年金だって(すみません、今の状況は知りません。)専業主婦で年収がいくらか以下は払わなくていいとか、その不公平な取り扱いはおかしいと思う。フェミニズムと言うと、全女性に優しいシステム作りばかりを推進していくと思われるかもしれないが、働いていてなおかつ子育てもしている女性(どう考えてもこちらの女性達の方が大変なことは想像がつく)が感じる不公平感を失くすことも大事だと私は思う。女性が誰かのDependentとして生きていくことはその人の自由だが、そういう女性の中でも、働ける環境があれば女性が社会に戻れるような仕組みを作ることも大事なのではないかと思う。まだまだ日本は圧倒的に女性をDependentとして扱うことが自然という風潮があるような気がするのだ。
今日の授業の後、いろいろとフェミニズムについて考えていたのだが、そのときに実はとても身近なところに、フェミニストがいることに気がついた。それは私の父。(本人は否定するかもしれないが。)私の父は、何か特に活動をしているわけではないが、稀に見るとてもリベラルな人だ。(政治的立場の話ではない。)そして「女性は外で働いていた方が、キレイでいられるから、外に出ていた方がいい。」と、昔、私に言ったことがある。(お父様、覚えていますか?) 実際私の母は正社員として会社で働き、家事をこなし、なおかつ同時進行で日本舞踊の師範まで取ってしまった人である。仕事をしながら家で踊りの練習をしていた母のパワフルさもさることながら、やはり父の寛容さと理解がなければ、母もこういう人生が送れなかっただろうと思う。私は、常々、日本男性がみな私の父のようだったら、日本の女性ももっと幸せに人生が送れるだろうな、と思っているくらいだ。(しかも定年退職後、実家の夕食の支度は父の担当になったし。)女性の役割と一般的に思われていることを、女性の役割と決め付けないあのリベラルさは、フェミニストと呼ばれるにふさわしい気がする。
しかし実際には私の父のような寛容な人は少なく、男性女性お互いにシェアできることであったとしても、日本ではまだ女性の役割、男性の役割と決め付けている人が多いような気がする。日本では、女性の持っている資質を延ばせる、そして十分に能力を発揮できるような仕組みがまだ整っていないと思う。こんなに男女同権と叫ばれるアメリカ。このアメリカでさえ、なかなか男性に誤解されがちなフェミニズム。日本では更に理解されるのは難しそうだ。
まだ3回しか授業を受けていないにも関わらず、いろいろと考え始めた。この先この授業ではどんなことを学んで、どういう風に私は考えていくのだろう。
さ、授業で発言するためにもそろそろリーディングに戻らないと。