今日は歴史の授業。先週に引き続き、エルサルバドルの話。今日までに「One Day of Life」という本を読んで行かなければならなかったのだが、私は3分の2ほどまでしか終わらなかった。しかし読めば読むほど、どうしたらこんなことが起きてしまうのだろうか?という気持ちでやりきれなくなる本である。しかしこういう理不尽な市民への扱いが最近まではびこっていたことを知るという意味で、英語またはスペイン語が読める人は一度は読んでみることをお勧めします。
今日の授業の初めには短いドキュメンタリーを見せられた。Genocideやイランコントラ事件などがまとめられたビデオの中の一つで、私たちは「School of Assassination」というものを見た。それは「School of the Americas」についてまとめられたものだった。「School of the Americas」というのは、元々アメリカがパナマに作ったミリタリートレーニングスクールらしい。それがその後Georgia州へ移り、今でもその学校は存続しているという。タイトルの「School of Assassination」SOAは、「School of the Americas」SOAに対する批判である。
そもそもこの学校ができた目的は、ラテンアメリカの国々に共産主義が広がることを恐れたアメリカが、それを弾圧するためにラテンアメリカの各国の政府軍をトレーニングすることだったらしい。しかしこの学校の卒業生は次々とラテンアメリカの国々で軍事独裁政権を作り出し、市民戦争でおびただしい数の虐殺を行い続けているという。村一つが完全に破壊されたり、あちこちで起こされた虐殺にここの卒業生がかなり加わっていたということで、このSchool of the Americasは非難されているとのこと。
ビデオは、この軍隊の訓練内容と、ミリタリースクールの存在に反対するアメリカ人活動家たちの話で構成されていた。活動家の話によれば、ここに来る若者達のほとんどは本国では貧しい農家の出身で生きていくのにやむを得ずにここに来る。しかし数年後には殺人機械となって本国へ帰っていくとのこと。自分達の税金が、人殺しをする人を育てるために使われている、何のためにこれらのトレーニング施設が必要なのか、とアメリカ人活動家は訴える。この活動家達のウェブサイトはこちら。http://www.soaw.org/
実際に虐殺に加わったということで、国連の調査も入ったりしてはいるらしい。ここの卒業生は数多く、ボリビア、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、ペルー、ニカラグア、アルゼンチン、グアテマラなどで各国の軍隊のトップを占めている。中には軍事独裁者となる者もいた(ボリビア)。(虐殺や事件の詳細はこちら。http://www.derechos.org/soa/index.html 図は少し見にくいのだが、右側の欄が卒業生が関わった事件らしい。)アメリカの元で育てられた軍人はそれぞれの国へ帰り、そこで若者を徴兵し、政府軍の手足となる兵隊を育てる。そして政府軍は少しでも反政府要素があると(ない場合もあると思われる)、徹底的に弾圧する。それらは拷問、レイプ、殺人を含む。
ラテンアメリカの住民の多くは農民なのだが、農民が土地を所有している割合はとても低い。そのためどうしても生きていくために、基本的な要求が生まれる。十分な食糧を作れるだけの自分の土地を、政府に求めることになる。安い利子で肥料を買うお金を融資してくれるように銀行に懇願する。これらは最低限の生活を獲得するためには、当たり前の要求と思われる。しかし政府軍は、こういう活動こそが反社会的行動、共産主義あると考え、訴えを起こした人たちを強制連行し、拷問し、最終的には殺してしまう。
この土地を求める運動をアメリカも共産主義への傾倒と信じ込み(あるいはそれが口実か)、共産主義の広まりを恐れる余り、それを弾圧する政府軍への援助を惜しまない。そのサポートの一つの形がこの「School of the Americas」である。組織的な民衆の抑圧を教え込むのが、この学校の目的らしい。
私は決して、授業で教わったことや聞いたことをそのまま全部信じ込む人ではないが、周りの話を聞いていると、このアメリカ人活動家や教授やクラスメートや友人が言っていることは決して誇張だとは思えない。クラスメートの中にはこういうことから逃げてきた人たちの子供達がいる。90年代まで続いてきたことなので、彼らの両親は直接の被害者である。そのため話はどれも生々しい。
内戦の問題は、政府軍、ゲリラどちらにも身近な人がいるということである。どちらも身内であり、区別ができないのだ。子供のうちにさらわれてしまうため、どちら側についても簡単に教育されてしまう。それなら子供がさらわれる前にそこを逃げ出せばいいとは言うものの、生活が安定している一番近くの国アメリカにたどり着くまでにはいくつも国境を越えなければならない。そして無事にアメリカへ着いたとしても、アメリカ政府自体が逃げてきた国の政府軍を支持しているのだ。そのような状況下では、難民の声は政府に大きく取り上げられることはないだろう。そして何よりも国を去るためには、かなりのまとまったお金が必要なのである。
クラスメートの話によると、彼女のお父さんは娘を一人残して家族で逃げてきたらしい。なぜ娘を残してきたかというと、彼女はまだ子供だったので大丈夫だという判断したらしい。もちろん内戦が少し落ち着いてから、お父さんは娘を迎えに行ったそうだが、子供を置いてまで、まず逃げなければいけない状態というのは、普通の状況では考えられない。日本では中国残留孤児がこれに該当するかもしれない。国境を越えることは危険であり、しかも多くの人はできることなら国を去りたくないと考えているので、簡単に国を去ればいいという問題ではないとのこと。それは当たり前だろうと思う。私達があちこちの国へ旅行したり、留学するのとは異なり、彼らにとって国を出るということは、ある意味、国を捨てることになるのだ。誰が好き好んで故郷を捨てたいと思うものだろうか。
先日、別の人口問題のクラスではこうやって逃げてくる人たちやundocumentな人たち(不法移民)が、それぞれの市やカウンティにとって大きな負担となっている、ということが取り上げられた。何となくその教授の言葉からは、何で自分達(アメリカ人)が彼らの面倒を見なければいけないのか、という姿勢を垣間見たような気がした。(ちなみに教授は白人のおじいさん。)
人口の移動にはpushな要素とpullな要素があり、今アメリカには経済的に引き寄せる要素があり、ラテンアメリカの国々には社会混乱、貧しさからのPushな要素があると話していた。この教授の態度と授業内容では歴史的な要素はまるで話されておらず、貧しい人たちが来てアメリカの税金を使っていることに焦点が当たっているように感じた。(貧しい人たちだけが行くヘルスセンターの利用や、ただで学校教育を受けていることに関しての反発など。)しかしもちろん教授も国全体としては、移民は経済的効果が高いとは言っていた。どの国の調査でも、移民は経済的には必ずプラスへ働くらしい。
両方の授業を自分の中でまとめてみると、私個人の気持ちとしては、アメリカ人はそれくらい負担しても仕方がないのではないか、と思えてしまう。もちろんきちんとした仕組みがないものにお金を負担しろという話はおかしな話ではあるので、何らかの形は必要だろうと思うが。中南米の内戦はアメリカ政府が油を注いだ部分がかなりあるのは確かなようだし、大量殺人を行った軍人達を育て続けた学校の運営費がアメリカの税金から出ているののも確かなようだ。そう考えると、そのアメリカ運営の軍事学校から生み出された人たちにより被害を受けた人たちに対して、アメリカ人はそれなりの保障はしてもいいのではないか、という気持ちにもなってくる。なぜなら学校の運営とその卒業生への独裁的政治をサポートするなど、原因を作る方にはお金を支払う(税金を使う)ことに対してはためらいがない一方、その原因により引き起こされた問題の保障に対してはお金を払いたくないと言うのはおかしな話だろう。
一体誰が国の破壊の基となる武器を供給したのか、誰が市民を抑圧する軍人を育てたのか、誰がその軍人をサポートしていたのか、誰が国を破壊してまで共産主義(実際は共産主義ではない)を弾圧するべきと教え込んだのかを考えると、その当時のアメリカ政府を支持した国民にも、中南米への復興への援助の責任は少しはあるような気がしてきてしまうのだ。
内戦から命からがら逃げてきた人たちと、内戦で破壊されまくった環境の中で未だに苦労して生きていっている人たち、その人たちを助けるためにアメリカへ違法でもやって来て本国へお金を送り続ける人たち。彼らの人生をかけた犠牲を考えると、泥沼化した内戦の混乱を招いた責任として、多少はアメリカ人も何かしらの犠牲を払ってもいいのではないだろうか。しかしそれにはきちんとした仕組みや、援助の方法が必要だろう。
もちろん違法なことはとがめられるべきであり、それに対しての処罰は当然なことだろうが、実はアメリカ政府の難民に対する態度は一環していないため、あまり不法移民ばかりを責められないのではないか、とも思う。例えば1980年代前半、アメリカはキューバからの難民を多く受け入れた。多くの人は難民としての国際的基準を満たしていなかったため、国際社会からは非難もされた。そしてほぼ同時期、ハイチからの政治的難民は受け入れなかった。こちらは明らかにハイチ政府からの迫害の恐れがあったにも関わらずだ。このように共産主義から逃げてきた人は快く引き受け、その一方で他の問題による政治難民は受け入れない。このように国際基準を変えてまでそのときの政府の受け入れ態勢が一貫していないということは、誰を不法移民として扱うのかは、その時々のアメリカ政府の政治的都合にかかっているということになってしまう。
法治国家の中では、感情で物事が動いていいわけはないとは思うが、人道的立場から見るとどうなのだろう、とも思う。不法移民排除、不法移民への敵意をむき出しにしている人たちには、もう少しどうしてそうなったのかについても学んでもらいたいと思う。大抵の場合、無知さゆえに自分の利益だけを考え、人に責任を押し付けることが横行するものだ。今の社会の混乱には多かれ少なかれ先進国の都合や影響が見え隠れしているものだ。中南米にせよ、アフリカにせよ、アジアにせよ、欧米諸国のかつての好き勝手な振る舞いが未だに発展途上国が発展できない理由の一つであることは間違いがない。もちろん日本もその一翼を担ったと思う。
何にせよ、歴史は本当に戦いと混乱の繰り返しばかりで時々勉強していると気が重くなる。後で落ち着いたらSchool of the Americasのウェブサイト(http://www.soaw.org/)をじっくりと読んでみよう。そしてアメリカ政府側からの意見も探してみることにする。何事も一応両方の意見を聞いてみないとならない。