絶対話せる!英会話

まさかの暗闇 & Resurrection

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この記事は、
[1]  はじめまして。 
[2]  なぜ英語の勉強を再開したか。
[3]  やっと英語の勉強を本格的に再開。
[4]  スランプを抜け出した方法。
[5]  英語を勉強し始めて3年目、やっと転職。  からのつづきです。

 

勉強を少しずつして、やっと転職に成功。
最初はわくわくしましたし、
どきどきしながら仕事をスタートしました。

 

英語を使っての外資系企業での仕事は
派遣でいくつかの会社で経験していましたので
初めてではありませんでしたが、
でもやはり、新しく入った会社では緊張しました。
メインの仕事は、医療関係の翻訳でした。

実は、そんなにすぐ仕事が決まると思っていなかったので、
その頃、カナダの通信制大学の授業も取り始めていました。

なので、仕事と、翻訳通信講座、大学の授業と、
3つのことに終われる日々になりました。

 

はじめのうちはどうにかなっていたのですが、
段々と仕事が忙しくなり、
最初は2時間ほどだった残業時間が
どんどんと増えていきました。
なので、切りのいいところで、勉強は一時ストップ。

 

なかなか終わらない仕事って、あるものなのですね。
やってもやっても仕事は全然減りませんでした。
そして残業時間が長くなってしまったおかげで、
私の生活スタイルはまるで変わってしまいました。

毎日ご飯とお弁当を作っていたのですが、
家で料理のための時間がなくなり、
三食すべてが外食となりました。

家にたどり着くのは深夜になり、
しかし翌朝はまた会社に行くために、早起きしなければならない。
そういう日々が続きました。

 

朝の出勤時に、少しだけ太陽は見るものの、
地下鉄で出勤していたので日差しを浴びることもなく。
昼間は全く日差しの入らない部屋で黙々と働き、
夜は深夜に帰宅。
この頃私はいつも、太陽を見たいなー、と思っていました。

 

そして働き始めて9ヶ月ほど経ったころ、
体に最初の異変が起こり始めました。
最初の症状は、不眠でした。
夜、眠ろうとしても、眠れません。
布団に入って目をつぶると、眼球が勝手にくるくると回り、
おでこの裏側辺りが、むず痒くなる症状が
頻繁に起こるようになりました。

会社が入っているビルの病院へ通い始めたのですが、
原因はわかりませんでした。

 

それでもせっかく得た仕事ですし、
そのまま変わりなく働き続けました。
でも段々と言葉を発する元気がなくなってきたのは
感じていましたが。

そしてこの頃、時々気を失うようになりました。
歩いていても、すっと気が抜けてしまい
倒れそうなことが多くなり、頭を打つのが怖かったので、
ビルの中では通路の壁を触りながら

つたって歩くようになりました。

 

一度、道で倒れて、
顔半分にオオアザを作ったのをきっかけに、

初めて仕事を休みました。
でも一日休んだものの、眠れたわけでもなく、
回復することもないまま、また仕事へ戻りました。

 

しかしこの後、症状は更に悪化し、
会社でPC画面を見ていても、机で気絶するように。

またあごも時々動かなくなり、言葉が言葉にならず、
狼の声のような音が口からもれるだけのこともありました。
段々と普通に日常生活を送るのが難しくなり、
最終的には仕事を辞めざるを得ませんでした。

 

そして、その後1年間、私は何もできませんでした。
しばらくはただ生きていた、という状態でしたね。
頭位性めまい、気絶、言語障害、吐き気、耳の痛みに
1年近く苦しみ、その頃のことを思い出すと、
今でも涙が出てくるくらいです。

こんな短期間で、しかも死ぬほど働いたわけでもないのに
体が言うことをきかなくなってしまうなんて、
考えたこともありませんでした。

一生働いて自分の足で生きていくと思っていた私には、
屈辱的な日々でした。

 

仕事を辞めてから最初の半年は、物を考えることもできませんでした。
当時は何か考えたり、勉強したりしようとすると、
途端にめまいがして、目の前の景色が揺れました。
頭を使うことを、脳が完全に拒否していたようです。

目が覚めて体を起こしたときに、
目の前の光景が激しく上下に1メートルほど
縦揺れを続けていたとき、
もう生きていても仕方がないのかも、とさえ思いました。

 

とにかく頭は使えない、体も思うように動いてくれない、
私は単に存在しているだけの無能の人となり、
もはや生きているのすら意味がなく感じました。
その一方でどうにか早く良くならないか、と焦りもしましたが、
焦れば焦るほど、症状は悪化していくばかり。

このときはさすがに一人で生活を送れる状態ではなくなり、
申し訳ないと思いつつも実家へ帰り、
両親に面倒をみてもらいました。

 

両親を始め、周りの人たちは、私を焦らせることもなく、
暖かく見守ってくれました。
そのおかげで、私は少しずつ体を動かし始め、
外へ出てウォーキングもできるようになりました。
この頃は意識的に、ウォーキングと料理だけの日々を送り、
他のことはすべてシャットダウン。
本能的に、そうするのがいいように感じたからです。

 

そんな生活をずっと続けていたところ、
少しずつ気持ちが前向きになり、
段々と物事も考えられるようになってきました。
調子のいい日とそうでない日はありましたが、
いろいろと考えても、めまいは起こらなくなってきました。

 

本当に少しずつゆっくりと回復していきましたね。
やっと自分の思い通りに体が普通に動くようになって、
喜びを感じました。
何不自由ない今となっては、
そういうことに感謝することすら忘れていますが、
そのときは、自分の意思で体が自由に動くって
何て素晴らしいんだろう、と思いました。
段々と私の体の中で力が育っていくのを感じましたね。
そのときは、生まれ変わるって、こういうことを言うのかもしれない、
と思ったほどです。

 

回復しつつある日々の中、いろいろなことについて考え始めました。
自分がこんなに具合が悪くになってしまった理由、
健康や、今後の人生、
またこんな状態でも生きている意味についても。
私が生きていることには、私が生きている意味があるに違いない。
私は、はじめて自分がこの世に生まれた意味、
使命というものを考えるようになりました。

 

また日本という社会に生まれた幸運にも感謝しました。
私は思考能力がなくなっても、やっぱり生きていたいと思った、
だから生きている、と思ったんですよね。
でももし、ここで支えてくれる人たちがいなかったら、
社会に復帰できたかどうかは分かりません。
例えば世界のどこかで、生きるか死ぬかのギリギリの生活を
送っている社会に生まれていたら、
きっと誰も助けてくれなかっただろう、と思います。

 

世の中にそれほどのことをしていないのに、
私は自分の家族や友人や社会に支えられて生きてきたんだな、と実感。
そして、世の中に何らかの形で、

私なりに恩を返していこうと思いました。
そのときは自分に何ができるのか、まだわかっていなかったのですが、
その後社会復帰するにつれて、
段々と自分がやるべきことがはっきりと見えてきました。

 

しばらくして仕事が普通にできるようになったとき、
冷静にその状況を見つめて思ったこともあります。
それは、たとえ少しでも、自分に何かできることがあると、
それを武器として自分は生活していけるということです。
それがあると、失敗してもまた
どうにか人生が切り開いていけることも分かりました。

 

お分かりかもしれませんが、私にとっては、それが英語でした。

この経験から、私は、人はどんな状態に陥って

も復活できると信じるようになり、

そのことを世の中に広めていこうと思いました。
そのためにも、私は、自分自身、強く生きて、
人はいつでもやりたいことを、

やり遂げることができるということを
身をもって示そうと決意しました。

 

体が自由に動かなくなり、
社会に居場所がなくなってしまった後も、
私は人生をやり直すチャンスをどうにかゲットしました。
行動と勉強により運も開け、日本のみならず
海外で生きていく自由も手に入れました。
私は英語によって、選択肢が広がり、

それまでの人生から解放されました。
たかが言語ではあるのですが、
人の人生を変えられるくらいの影響力はあるということですね。^ ^

 

だから私は私なりの方法で、
一人ひとりの人がその人にしかない力をつけて
しっかりと自立して生きていくことができるということを
世の中に広めていきたいと思います。

 

また海外へ出てから、募った思いもあります。
それは、一人でも多くの人に
世界に通用する日本人になってほしいということ。
日本は今、世界の中から取り残されつつあるのが、
日本の外から見ていると、よく分かります。
そのスピードは、日本人が日本国内で思っている以上に速いのです。
日本大好きな私には、それが残念でなりません。

私は、それは圧倒的な情報不足にも関係していると思います。
日本語の情報しか手に入らない人たちと、
世界中の情報を自由自在に手に入れられる人たち、
どちらが世界の流れに乗っていけるかは明らかだと思います。

 

自分が英語で情報を集めるようになって、
日本語と英語の情報量の差に驚きました。
英語ではいくらでも手に入る情報が、
世界最先端の医療や、テクノロジーや、
経済や、マーケティングなどの情報が、
日本語では本当に少ししか手に入りません。
今後は情報を持つ者と、持たざるものの格差も
広がっていくと思います。

 

そして日本語だけで情報を得るしかないということは、
ある意味で、鎖国のようなものだとも感じています。

日常生活でも物事を判断するとき、
一方からの情報だけを聞くということはありませんよね。
例えば意見の行き違いがあったとしたら、私たちは大抵、
両方の意見を聞いて、どうするか最終的な判断を下すと思います。
でもこれが片方の意見しか手に入らないとしたらどうでしょう?
あなたは公平な意見を述べられると思いますか?
一つの言語だけで物事を判断するということは、そういうことなのです。

 

もちろん全員が全員、英語を読み書きできる必要はないと思いますが、
上に書いた心配事を解決するためにも、
何ヶ国語も話せるような人材は、
やはりこれからの日本には不可欠だと思います。

 

一人ひとりの人が、自立して生きていく力をつける、
世界中の情報を客観的に見て、
堂々と海外に向けて発言できる人を育てる、
私は微力ながらも、そのためのお手伝いをして、
少しでも世の中を動かしたいと思っています。
この英語ブログを立ち上げたのは、その活動の一環です。

 

I must be the change I want to see
in the world.

 

これからよろしくお願いします。

 

[1]  はじめまして。 
[2]  なぜ英語の勉強を再開したか。
[3]  やっと英語の勉強を本格的に再開。
[4]  スランプを抜け出した方法。
[5]  英語を勉強し始めて3年目、やっと転職。 
[6]  まさかの暗闇 & Resurrection。(このページです。)

 

私がどうやって29歳から英語を勉強し直し、

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