金曜日に授業で映画を見た。「Voces Inocentes」という映画だ。(英語タイトルは、Innocent Voices。) 舞台は80年代のエルサルバドル。市民戦争が泥沼化している頃の映画だ。どうしてそんなことになってしまうのか、ひたすら悲しくなる映画だ。
私は南米の歴史については、アステカとインカ文明くらいしか、アメリカに来る前は知らなかった。そしてエルサルバドルのこの悲惨な状況も、今回の映画で初めて知った。映画を見た後、エルサルバドルの歴史に関するとあるウェブサイトを見つけ、一気に読んだ。
かなり詳しく書かれていたので、読み終わるのに1時間以上かかった。読んでいる内にかなり絶望的な気分になった。
映画は11歳の少年の体験談になっている。この頃のエルサルバドルでは、12歳になると政府軍に強制的に徴兵されることになっていた。学校へ軍隊が乗り込み、12歳になった少年をさらっていってしまうのだった。少年の家は政府軍とゲリラグループの間の地域にあったので、夜には流れ弾も飛んでくれば、家に向かって発砲もされる。父親は内戦が始まると、アメリカへ逃げてしまった。
政府軍は腐敗しきっていて、やりたい放題で我慢できずに立ち上がったのが、数々のゲリラ集団である。政府の圧政に苦しめば、大抵の人は共産主義に活路を見出そうとするのは当然だろう。しかしアメリカはそれを好ましく思わなかった。アメリカは中南米諸国が共産主義に傾くことを恐れたため、政府軍への援助を惜しまなかった。これがますますエルサルバドルを混乱へと陥れる。アメリカ軍のサポートは、政府軍にとっては後ろ盾を得たようなもので、ますますゲリラへの弾圧、市民への横暴が進む。しかし人民はアメリカ軍を許さない。そして自分の子供たちを誘拐し、洗脳し、少年兵へと育てる政府軍のことも許さない。こういう中で成長した少年の話である。しかも少年は11歳、徴兵されてしまう時が近づいているのだった。
12歳って、普通子供は何も考えていないだろう。どうしてたまたまそこに生まれついてしまっただけで、こんなに過酷な人生を強いられなければならないのかを考えると、世の中が狂っているとしか思えない。子供なだけに洗脳するのも簡単だろう。
以前アフリカの内戦 (どこの国だったかは忘れてしまったが) で誘拐されて少年兵にされてしまった子供たちのドキュメンタリー番組を見た。少年兵の恐怖心をなくすために、何と少年達は弾丸の中身を食べさせられてふらふらにさせられていた。弾の中には一種の麻薬作用があるものが含まれているらしい。歩くのもやっとのふらふらになった少年はもう訳が分からず、自分の身を隠すということも忘れて、ただ銃を発射するだけだった。そのときに見たアフリカの少年たちもまだ10歳くらいだった。こんな小さい子供をよく人間武器のように使えたものだ。何がどう間違ったら、子供にこういうことができる大人が育ってしまうのだろう。その大人たちもそうやって育てられた子供たちの生き残りだったのだろうか。
人として人の痛みが分かる当たり前の感覚を持っていたら、そしてその感覚が育まれる社会で育っていたら、こんなことができる人間にはならないはずだ。取り巻く環境によって人は善人にも悪人にもなれるのだろう。日本もかつて、戦前、戦中は完全なる洗脳状態に近いものがあったと思う。知覧の特攻隊基地に行ったとき、少年の遺書をいくつも読んだ。それらに書かれている少年たちの純粋な両親と国を思う気持ちが本当に哀れだった。それを利用した日本の軍隊と政治に心底嫌気がさした。いつの時代も、どこの国でもまだ成熟してない子供を利用するのは同じようだ。
が、戦争では明らかに敵が外にいるのだが、自分の国の政府が自分達に危害を与え続けている場合、政府軍をただ倒せばいいというものではない。市民戦争では、敵が自分と共存しているようなものだろうし、もっと何が何だか分からない状態だと思う。例え政府軍を倒せたとしても、身内同士で闘っているようなものだから、一体どこからどうやって国を立て直したらいいのか、途方にくれるだろう。
私の仕事場にエルサルバドル人がいるので、話を聞いてみた。すると彼は、映画の中の話はまだまだごく一部に過ぎない、と言う。しかし、あの映画の中のことは全て真実だし、自分が子供の頃には、ああいう状態はどこにでもある状況だった、と言う。彼は30歳を少し越えたくらいだと思うので、映画の時代設定の頃にはまだ徴兵されるには小さすぎたようだ。内戦は本当にひどいものだったらしく、長年悲惨な状態が続いていたらしい。彼はおじいさんからその当時の話を聞いた、と言っていた。
政府軍が一般市民を攻撃するというのは、今のダルフールと重なる。武器が簡単に手に入る発展途上国の発展は本当に難しそうだ。誰が彼らに武器を与えたのか、一体誰がそのときどきの社会情勢に応じて圧政を行う政府を支持してきたのか。よく考えてみれば、これらの状態を生み出したのは先進国の都合だということが分かる。
私がエルサルバドルの存在を初めて知ったのは、小学校4年生頃。確か国際キャンプというものに参加したときだった。そこで私はエルサルバドル班だったのだ。私が「へぇ、こんな国があるんだ。どこにあるのかな?」と暢気に地図を眺めていた頃、こんな内戦がずっと続いていたらしい。
私は全ての戦争をどんな理由があったとしても支持しないが(戦争に大義なんてものは存在しないと思っている)、しかしもしも自分の国の政府が無差別に人を殺し始めたとしたら、やはり自分の身や周りの人の安全を守るためには、闘うしか道は残されていないかもしれない、とも思う。
少年兵については以下のページを参照してください。