今は夜10時50分。コンピュータのクラスの後、隣の席のメキシコ人と1時間半も駐車場で長話をしてしまった。でもおもしろい人だった。今まで4回も授業を受けて、ずっと隣の席だったのに、ほとんど話はしたことなかった。
彼は5年前にアメリカにやってきたらしい。まだ2セメスター目なので、授業が大変だって言っていた。それは当然だと思う。だって週に60から70時間働いて、クラスを3つ取っているらしい…。働いていない私がクラスを4つ取っていて、結構いっぱいいっぱいになっていることを考えると、大変なのは想像がつく。しかもアスファルトの工事の仕事をして、たまに朝4時から仕事らしい。
いろいろな話をした。お互いの国のこと、社会の仕組みのこと、育った環境などなど。彼は7歳から働いているらしい。学校の後、子供が働くのは彼の育った地域では当たり前のことらしい。ロスカボスの近くの小さな町だって言っていた。アイスクリームを売ったりしていたらしい。お母さんが10年以上前にアメリカへ来て働き始め、ずっと仕送りをして彼の家族を支えてきたらしい。なので、子供とおじいさんとおばあさんだけで育ったと言っていた。7歳から働くなんて、日本ではまず考えられないことである。やっとどうにか生活が落ち着いたので、大学へ通い始めたと言っていた。
日本の学生はほとんど親の金でここに来ていると言ったら、「どうして?」と不思議がっていた。どうしてって言われても、親に余裕があるからとしか言いようがない。「大学生なのに自分で学費を払わないの?」と言うから、「日本では大学卒業までは大抵の親が面倒をみるのが普通なの。」と言ったら、すごく驚いていた。
私もここでは学食にも行けず、売店でジュースも買えず、1ドルのコインランドリー代を浮かすために洗濯は手洗い、たまに外に出たいとは思うものの、ガソリン代を考えてなるべく外出はしないという生活をして、たまにへこむこともあるけれど、そういう人の話を聞くと、まだまだ私は甘いなと思う。だって23のときに実家を出るまで、お金の心配なんてほとんどしたことがなかったから。
でもメキシコ人て明るいんだよね。知り合いにメキシコ人が多いんだけれど、皆明るい。確か何年か前の調査で、世界で一番ポジティブな国民だったと思った。決して楽観的な状況ではないのに、ものすごくタフで楽しむことを考えている。日本の元々の国民性とは、かなりかけ離れたものがある。私はヒスパニックの人と話をするのが、とても好きだ。彼らといると何となく元気になるのである。つまらないような会話も彼らと話していると、弾むのである。
それにしてもアメリカに来るまでメキシコのことなんて、何も知らなかった私。実はカリフォルニアや南部のほとんどの州がが150年ほど前までメキシコの領土だったことも知らなかった。知っていたのは、マヤ文明とピラミッドとタコスとビールがおいしいくらいかな?クラスメートの話を全て鵜呑みにするわけにはいかないけれど、メキシコの大統領はアメリカの大統領よりも年収が高いらしい。政府が未だにすべての権力とお金を牛耳っているので、一般の人の生活がなかなか楽にならないと言っていた。彼が学生のときは、先生が学校で昼間っから紙コップに入れてドラッグをくれたらしい。うーん。
でも彼は田舎から来たので、私の友人のメキシコ人とはまたちょっと環境が違う。私の友人はメキシコシティで育ち、大統領と同じ大学を出て、そして会計士である。でもやはり彼も昼間は8時から5時まで普通に働き、夜は6時から11時まで大学に通い、きちんと4年で、しかも立派な成績で大学を卒業した人である。そして彼もまた両親と離れ、おじいさんおばあさんに育てられた人である。メキシコ人のタフさは、やっぱり環境から来るのだろうと思う。大変なことも大変と思わないんだよね。前向きな明るさ・ポジティブさと、決して楽ではない生活が彼らを強くしているのだろうと思う。
彼らの話を聞いていると、何だか何も考えずに育ってしまった自分が恥ずかしく思えてくる。環境は仕方ないにしても、世の中のことをあまりに知らなさすぎて、恥じているのである。そして少しのことで動揺してしまう自分の器の小ささを嘆いているのである。まだまだ知らなければいけないこと、学ぶべきことは沢山あるのだ。私も彼らを見習って、逆境でも笑うことを忘れないようにしたいものである。ポジティブなのは無知さゆえにそうなれるのかとずっと思っていたのであるが、決してそうではないということをいつも彼らは教えてくれる。やっぱり人間タフでなければいけない。