今日は母が美空ひばりの追悼番組を見ていた。戦後、間もなくの貧しかった日本では、美空ひばりを心の支えにしていた人はたくさんいたようだ。今は贅沢だよね、というところから、両親の話は始まった。
父が小学校のときは皆下駄を履き、体育のときは皆裸足だったそうだ。父も母も小さい頃はつぎあてのある服を着ていたらしい。母は小さい頃そのつぎあてをからかわれたこともあったらしい。娯楽も多くはなく、TVはご近所のお大臣さま(=お金持ちの家)に見せてもらいに行っていたそうだ。母は美空ひばりの歌が覚えたくても、レコードは買えない、TVはなかった。あるのはラジオのみ。
昔は大学どころか、高校に行きたくても行けない人がたくさんいたらしい。父だって奨学金で大学に行った人だ。かなり長いこと奨学金は返していたと母から聞いたことがある。
父曰く、昔は(昭和40年頃)海外出張となると、部全体で羽田まで見送りに行ったそうだ。そんなに遠い昔ではない話だ。そして私が知っている昭和50年代だって今よりはるかに生活レベルは低かった。私はサラリーマンの娘なので、平均的な家庭で育ったと思う。それでもクラスに数人はいつも同じ服を着ているような子や、鼻ッたれた子供などがいた。外食だって月に1度あるかないかだったような気がする。
中学、高校と進むにつれ、自分の身の回りで便利なものが急に増えた。バイトをすれば、好きなものも自分で買えるようになってきた。生活レベルは急速に向上し、何年生のときにエアコンが、何年生のときにビデオが、ということはとてもよく覚えている。便利なものが回りに増え、外食も増え、気が付いたら、それが当たり前の生活になっていた。そしてその後はバブルな時代へ突入。
こうして考えてみると、私は本当に貧しかったことを知らない。そして一度便利さや贅沢さに慣れてしまうと、元には戻れない。元に戻る必要もないのだが、時には昔のことを振り返ってみて、どんなに今が贅沢で恵まれた環境で生きているか、感謝してみないと何だか罰が当たりそうで恐い。
今は本当に便利だ。世界中の情報があっという間に手に入る。小さかった頃は、外国のレコードを買うのだって大変だった。輸入版(英語のレコード)は歌詞カードがなかったから、耳から拾えた部分だけを適当に歌っていた。日本版を買ったときは、全部の歌の歌詞を丸暗記するほど聞いた。これは時々今でも役に立つ。ときどき前置詞が分からなくなったときに、歌を口ずさむと分かるのだ。
段々と身の回りに便利なものが増えた頃から、一つの物を大事にすることがなくなってきたような気がする。またいつでも手に入ることが分かるので、一つのものに執着しなくなってきた。一枚のレコード(CD)を聞き込むこともなくなった。
私でさえも、自分自身を通して時代の変化を感じるのだから、私の両親にとってはなおさらだろう。たまにこういう両親の話を聞くと、自分の今の環境のありがたさが身に沁みる。私は今の時代、日本に生まれて、本当に幸運だったと思う。たまにはこの幸運に感謝しないと、本当に罰が当たりそうだ。