今朝から書き始めた5ページのレポート、5時半(仕事に行く直前)にやっと終了し、ネットで無事に提出した。レポートの内容自体は簡単だったので、書くのがそれほど大変ではなかった。それにしても火曜日の午後から日曜まで、たまたま休みになったとはいえ、毎日腰痛と闘いながら、机とPCに向かう日々。そして勉強と仕事以外は全く何もできない状況。うー、ストレスが溜まる。
今日は仕事の後、クラブの皆と合流する予定だったのだが、なぜか誰の携帯もつながらないので、諦めた。電話がおかしいのだろうか?週に一度くらいはは友達とお外で会話をしたかったのだが、仕方がない。気晴らしができないまま、明日からは月曜日のエッセイ試験とプレゼン資料作りに突入である。あ、ENG-1Aのエッセイ書き直しも週末にしないといけない。うーん、どう考えても丸二日以上はかかりそうだ。
しかし、こんなに勉強するのは、私の人生始まって以来のことだ。私は計画的に黙々と勉強する人ではなかったし、計画を立てれば立てただけで、やったような気になってしまう人だった。(何せ夏休みの宿題なんて、9月になってもまだやっている全く自己管理のできていない高校生だった。古文の先生に品詞分解をしていかなくって、休み明けに怒られたことを思い出す。)今はそれほど計画を立ててはいないが、とりあえず大きなカレンダーに全ての教科の課題締切日と試験の日程を書き込んである。それを見れば次にしなければならいないことは一目瞭然。いろいろ考えたりしなくても、「あ、次はこれか。」とすぐに分かる。そしてこのカレンダーを使っていて快感なのが、終わった作業に二重線を引くとき。「よしっ、これも完了!」と塗りつぶすときは、本当に気持ちがいいのだ。
こういった作業を先学期からずっとしていたせいだろうか、今学期はしなければならないことに圧倒されるということは全くなくなった。先学期は勉強量にひたすら圧倒され続けて終わったが、今になって思うと、先学期なんて今と比べると大したことはない。しかも今は働いているのだ。作業的には恐らく倍近くになっているが、今は気分的に余裕すらある。所詮、少しずつ一つずつこなしていけば、大きく見えることも終えることができると言う当たり前のことにようやく気がついたようだ。もっと若いときに気がついていれば、今ごろ私の人生も変わっていたかもな、なんて少し考える。
それでも死ぬほど努力しているかというと、そういうわけでもない。まだまだ無駄にしている時間はあるし、もっと時間を効率的に使おうと思えば、使える程度の努力だ。大体今私がしていることが、本当に努力と言う言葉に値するかどうかも疑問に思うときがある。勉強にはすぐ飽きて、爪を整え始めたり、掃除を始めたり、枝毛を切り始めたりと、私は本当に集中力が持続しない。それでも今は少しだけ努力している自分を楽しんでいる。そしてその結果も楽しんでいる。若いときに努力しなかった分を今埋め合わせしているような感じがするのだ。
どちらかと言えば、小さい頃から成績は悪くはなかったが、あまり努力もしないし、勉強する楽しみもあまり感じなかった。ただ悪い成績を取りたくなかっただけだ。しかし、今は知らないことを知るのが、とても楽しいのだ。昨日よりは今日、明らかに新しい知識が増えている。誰のためでもなく、自分のためだけに勉強できるなんて、何て贅沢なんだろうと最近は思う。しかも全部自腹なので、鐚一文無駄にはできない。
日本にいても、そこそこの人生は送れただろうが、今この歳で大学に入り、勉強する喜びを分かっただけでも、アメリカに来たことは正しい選択だったような気がする。ここで得た体験、少しばかりの努力、そしてそこから得られる満足感は、私の性質や性格まで少しずつ変えつつある。人間必死で頑張らないと、何も得られないというのは本当だとつくづく思う今日この頃。まだまだ本当に頑張っている人達と比べると、私はそういう方たちの足元にも及ばないとは思うが、それでも自分がしたことの結果から得られる少しばかりの達成感を今は楽しんでいる。
さて、今日はレポート書きを終了し、小さな達成感。明日はプレゼン資料作りとエッセイの書き直しをして、またプチ達成感を得ることにしよう。