今日の歴史の授業では、教授の話の後、「Cautiva」という映画を見た。Cautivaは、スペイン語で「捕虜の、自由を奪われた」という意味らしい。全く南米の歴史を知らない私なので、帰宅後はずっとアルゼンチンの歴史をGoogleしまくった。日本でラテンアメリカの歴史って、全く学んだ覚えがないのだが(私は歴史好きだが)、どうしてだろうか?
今日の映画の内容は、軍事政権後もずっと苦しんでいる人たちに焦点が当たった話。軍事政権は1976~1983年まで続いていた。(http://en.wikipedia.org/wiki/Dirty_War)これがアルゼンチンの汚い戦争と呼ばれている期間らしい。その後軍事政権に変わり、反軍派の大統領が当選した。しかしこの大統領は、このときの軍事政権による虐殺、拷問などを行った軍人や警察官に恩赦を与え、それよりも前を向いていこうという姿勢を打ち出した。そのため当時は実際に裁かれた軍人や警察官はほとんどいなかったらしい。その後数人はスペインで逮捕されたりもしたが、ようやく最近になってこの当時の事件の加害者が裁かれるようになってきた。(http://www.news.janjan.jp/world/0606/0606246670/1.php)そのため子供を誘拐された人たちにとって、軍事政権時代はまだまだ終わっていない。
Googleしていたところ、とある女性の両親が判明、という記事を見つけた。(http://www.afpbb.com/article/politics/2382695/2863049)軍事政権下で反乱者とみなされ殺された人たちの子供を、軍事関係者が自分達の子供として育てたというもの。しかも何と今日のニュースである。私が今日見た映画の内容は、まさにこのニュースそのものだった。
軍事政権下、反共産キャンペーンとして(ここでもまた先日のschool of the Americas、アメリカが共産主義撲滅のために作った軍人養成スクールが絡んでいる)3万人が危険人物と見なされ誘拐されそのまま行方不明となった。10年ほど前になって恩赦された軍人が「実は拷問の後、証拠が見つからないように、海に向かって彼らを空から投げ捨てた。」と告白したようだ。アルゼンチンの行方不明者がどうなったのか詳細が分からないのは、正式な書面の記録がほとんど残されていないかららしい。
教授の話によると、この頃行方不明になった子供達を捜しに、母親が警察へ行くと、「あなたに子供がいたという書類は存在していない。」と言われ、狂った女性呼ばわりされることもあったそうだ。エルサルバドルと異なり、ここでは誘拐されたのは10代後半から20代前半の若者が多かったとのこと。学生やユニオンを結成するような若者は将来的に危険と見なされ、抹殺されたらしい。
アルゼンチンでは、その後こうして子供を奪われた母親たちの行動が大きく社会を動かすことにつながったらしい。母親達は子供のオムツなどで作った白い布を頭に巻き、静かにデモ行進を行った。これはsilent marchと呼ばれている。広場に行方不明となった子供たちの写真を貼り、いつまでも子供を探し続けた。軍隊は最初女性にそれほど力があるとは思わずに無視していたそうだが、この母親達の動きが次第に組織的になり、最終的には世界中へ広がっていったそうだ。こうした母親たちの動きが、この軍事政権が起こした大量殺人を、世界中の人に認知させることに大きく貢献したそうだ。
1978年、アルゼンチンではサッカーのワールドカップが行われ、アルゼンチンチームが優勝した。世界が見たアルゼンチンの栄光、そしてその影では、こうした軍事政権による誘拐、殺人が同時進行で行われていたらしい。
http://www.abc.net.au/news/stories/2008/03/26/2199587.htm
こちらは1ヶ月ほど前のニュース。誘拐された子供たちを持つ母親たちにとっては、何も解決されていない。
来週はチリの歴史についての授業となる。来週までに本を1冊読み終わらないとならない。こちらは母親たちが、軍事政権への反抗の一環として、キルトに社会の矛盾をつむいだ話。まだ読み始めたばかりなので、この話はいずれまた。