Race, Ethnicity, and Healthという本を授業で読まされている。この本は各Chapterが1つの論文のようになっている。今日はChapterを3つ読んだ。その中で気になったことを書いてみることにする。
最初の気になったことは、裕福な地域と貧乏人が多い地域では食べ物を売っているお店の種類が違うということ。裕福な地域になるに連れて、スーパーの数は増えるらしい。一方貧乏人が多い地域は小さな個人商店のようなお店が増える。そう言えば確かに前に私が住んでいた地域(どちらかと言えば、いろいろな有色人種とヒスパニックが多かった地域)では、歩いて行ける範囲内に小さな個人商店(パンや牛乳やお菓子などを売っている)やドーナツ屋やファストフードが結構あった。
アメリカでは、栄養素の高い食品や、バラエティ、野菜の新鮮さなどを考えると、明らかに大型スーパーの方が質がいい。しかし大型スーパーは貧乏人地域にはあまり進出しないらしいのだ。そのためそういう地域では、スーパーへのアクセスが悪くなる。
しかし実は貧しい人たちは、この車社会アメリカにおいて車を持っていない人が多い。以前、車の修理のため、前に住んでいた地域(今の家とは5kmほどしか離れていないが)にバスで向かったところ、あまりにも多くの人(ほとんどが黒人だった)が前の私の家の近所のバス停で降りるのに驚いた。「私の家の近所では、こんなにたくさんの人が車を持っていなかったのだ」という事実に、そのとき気がついた。
LAで車を持っていないということは、行動範囲が狭くなることを意味する。つまり遠くのスーパーまで買い物に行くよりは、近所の小さなお店で食料品を買ってきたり、ファストフードで食事を済ませてしまう可能性が高くなるのだ。前の学期のPublic Healthのイントロクラスでも、貧乏人の子供たちは、裕福な子供たちよりも肥満率が高いと聞いたが、それはこういうところにも原因がある。アメリカでは、自分でスーパーでものを買ってきて料理するよりも、ファストフードで物をたらふく食べたほうが安いのだ。だから余裕のない家庭は、そういう食事にはまってしまう。そしてそれを知っているファストフードは、比較的金銭的余裕のない人の多い地域に沢山出店することになる。何たる悪循環。
この論文では、もっとも金銭的に余裕がない地域には、スーパーが7つなのに対し、もっとも裕福な地域では27あったと書いている。(アメリカ中からいくつかの町をピックアップしている。この選択に偏りがなかったことを信じよう。)人口比にすると、貧乏地域では23,582人に1つのスーパーなのに対し、金持ち地域では3,816人に1つのスーパーがあるらしい。このスーパーの比率の差と車の所持率の差が、人のダイエットにも影響を与えてると、著者は述べている。
さらにもう1つの論文。それは黒人が多く住む地域には、酒屋の数が多いということについて書かれている。これはBaltimoreでの調査らしい。ここは黒人の比率が高く、明らかに貧富の差がある地域とのこと。低いSES(Socioeconomic Status) の地域には黒人の人が多く、そして酒を売っている店が、高いSESの地域よりも多いと統計による結果が示されている。(統計は2回も授業で取ったのに、データの読み方をすっかり忘れてしまったが。)
こういう論文を読むと、そして人種による生活レベルの差を毎日見ていると、もうaffirmative actionは必要はないとはよく言われるが、まだまだ必要なのではないか、という気にさせられる。そのおかげで上の学校へ行くことができれば、仕事を得られる機会も増えるだろうし。(しかしあくまで学校へ入学する際には少し優遇されたほうがいいだろう、という話。学歴が高い人の子供は学歴が高いのと同様に、学歴が低い人の子供は学歴が低いままである傾向が強い。そしてアメリカは何と言っても学歴社会なので。しかし私は職場での適用には、あまり賛成はしないが。)とにかく何かしらの対策を持って、少しずつ生活レベルと個人の労働者としてのスキルを上げていかない限り、こういう不平等はいつまでも続きそうだ。
日本では田舎ではスーパーがないところも多いが、都心ではスーパーが少ない地域なんて、まずあり得ない。
気軽に手に入る食材も、自分の経済レベル(つまりどこに住むかの選択)次第なんて、考えられない世界だな、ここは。