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アルメニア人虐殺。

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PBSにチャンネルを変えたところ、今日はアルメニアの特集をやっていた。初めてアルメニア人の大虐殺を知った。世界史で習った覚えはないし、今年の冬に取ったWestern Civilizationの歴史の授業でも教えてもらったことはない。少しばかりこの番組のプロデューサーが、現在のトルコでもこの件に関しては言論の自由がないと強調しすぎている気がするが、確かにGenocideはあったようだ。

Ottoman Empire(オスマン帝国)時代のトルコ人がアルメニア人を集団虐殺したことは2度あったらしい。最初は1894から1896年にかけて。数万人単位で人が殺されたそうだ。そして二度目は1915年、第一次世界大戦のどさくさに紛れて更に多くの人が国外追放(山越えの厳しい旅)または理由もなく殺されたとのこと。これに対してトルコ側は未だに虐殺を認めてはいないとのこと。そして私が今日見ている番組は虐殺がどのように行われたか、現在のトルコの反応はどうか、またアルメニア人の文化はどのようなものかを放送している。

ここでやっと私の中での二つの記憶がつながった。一つは歴史の授業で教わったこと。オスマン帝国がヨーロッパのかなりの部分まで勢力を広げたために、イスラム勢力とキリスト勢力の対立が起こったということ。二つ目は私の去年のクラスメートの話である。彼女はレバノンからの留学生だったがアルメニア人だった。その彼女が以前、自分の先祖がアルメニアからオスマン帝国へ移住したが、トルコで迫害に合いレバノンへ逃げてきたと言っていた。曽祖父の話と言っていたので、ちょうどこの虐殺の頃と話が合う。そうか、そういう経緯があったのか。どうりで彼女はレバノン人としてよりも、アルメニア人としてのプライドを前面に出していたのかが、初めて少し分かったような気がした。

番組の最初を見損なってしまったので、詳細は聞き逃しているかもしれないが、虐殺はひどいものだったらしい。学者によっては、1915年には140万人が迫害されたという人もいるらしい。国外追放となったときの旅もひどかったようで、病気がはびこり死体があちこちに転がり、ユーフラテス川は人の血で真っ赤になったと形容されていた。そして国外追放だけではなく、トルコ人はアルメニア人の男性、女性、子供全てを船に乗せ、そのまま黒海に投げ捨てたそうだ。

どうしてそんなにアルメニア人がトルコ人から敵意を持たれていたのかの詳細は分からないが、やはりここでも宗教の対立がかなり人の気持ちを支配していたようだ。こういうときの敵対感情はもう集団的で個人の感情ではどうにもならないのだろう。

現在のトルコ政府はこの虐殺を事実として認めておらず、逆にアルメニア人によるトルコ人虐殺もあったと国の議会で報告している。しかし1915年の虐殺のときは、すぐにアメリカから非難があったらしく、アメリカの学者などもすぐに調査に乗り出したとのことだ。そして最近はトルコ人の有識者の間でも、虐殺の事実を政府は認めるべきだと主張する人が増えてきたらしい。

歴史は勉強すればするほど、殺人だらけだ。ヨーロッパの歴史も、中国の歴史も、日本の歴史も内戦・または国外への侵略による人殺しばかりだ。最近ラテンアメリカの歴史の教科書を読み始めたのだが、ここでもスペイン人による大量殺人の話ばかり。読んでいると気分が悪くなってくる。本当は人はとても残虐なのかもしれん、と歴史を勉強するといつもそう思わされてしまう。しかしこういうことを繰り返してやっと今のような世の中になったと前向きに考えるべきか。

アルメニア人の虐殺のことは今日まで知らなかった。トルコでアルメニア人の迫害があったということは多少は知っていたが、そんなに夥しい数の大量殺人が行われていたとは全く知らなかった。少しこれから勉強してみようと思う。

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