先日会社で日本から駐在で来ている人が不愉快そうに言ったこと。「アメリカに住んでいる日本人女性って強い人が多くないですか?」私はそういう中には入らないからということで発言なさっておられたが、そういう女性たちに好印象を持っていないというニュアンスの言葉だった。女性が強いことがどうも好ましくない…?らしい。 私がそのときに思ったのは、一人で外国で生きていくのなら、強くなって当たり前なのに、この人にはどうもそういうことが分かってもらえないんだ、ということ。そして強くなるのは男性も女性も同じなのに、なんで女性だけがそういう言われ方をされるのかは、少し面白くない。
こういう発言をなさる方は、きっと違う国で一人で生きていくことのしんどさが全く分かっていないのだと思う。生まれたときからの心地よい環境を全て失って、言葉も通じない、常識も違う社会の中で、一人で一から土台を作り上げていくのが、どれだけ大変なのか、考えたこともないのだな、と思った。駐在員の方は、金銭面から仕事面でのサポートから全て会社に面倒を見ていただいて、アメリカの中の完全な日本人社会で生活をしている。アメリカにいながら実際のアメリカでは全く生活をしていない。会社には通訳もいる。だからこういう発言も出てくるのかな、と思う。(会社には、ほんの数人の駐在員が日本語で会話をしているが、基本的に日本語はいらない環境。)
恐らく駐在員の方たちはアメリカ国内にいても日本と同じ感覚で日本人だけに囲まれて(仕事以外は)生活しているので、言葉が分からない、そして通じない、共通認識がない、常識が違う、助けてくれる人もいないため、全ては一人で解決するしかない、しかしどこへ聞いていいのかもよく分からないという環境下で生活していくことが、イヤでも人を強くしてしまうということを、理解できないのだと思う。そして外国の片田舎でたくましく生きている強い日本人女性への印象を日本男性の価値観で口にする。私でもアメリカの田舎での生活はさぞや大変だろうと思うのだが、日本人社会にどっぷり浸かっている人にはそこら辺がわからないらしい。
そういう女性たちを好ましく思わなくても構わないが、そういう女性たちは私にとっては言わば同士である。なのでそういう人たちに対しての否定的な発言は、私の前では言わないでいただきたい。仲間内で仲間を批判をするのは構わないが、仲間でない人たちを、自分の狭い視野の中で判断して、その批判されている人と同じ立場の人に向けて発するのは、ちと思慮が足りない。
アメリカで知り合った日本女性は、日本で生活していたときよりも自分の力を信じられるようになったと言う人が多い。これには私も大きく頷く。アメリカに来てから、痛い目と悔しい目に数々合って、かなりたくましくなったのは間違いがない。揺ぎない自分への信頼感はそういう経験に基づいている。私はできると思ったことは、できる、と信じている。なので強くなるということは、人の成長としてはいいことだと私は思っているのだが、そう思わない人もいたようだ。
私もかつてそうだったが、一国の中だけに留まっていると(しかも日本という多様な価値観を避けたがる環境の中で生活をしていると)、それ以外の価値観が分からず共通認識を周りの人が持っているという前提で、発言してしまうことが多い。そしてそういう言葉は、しばしば違う価値観を持つ周りの人を不快にしてしまうことがある。(つまりこの場合は、外国で暮らしている強い女性は好ましくないと皆が思っているに違いないという前提で話をしたということ。しかし、私は外国で暮らしている一人であり、そして女性でもある。) 私もそういう発言をしがちなので(ついつい日本人感覚で言ってしまうことがあるので)、人の振りを見て我が振り直せ、ということで、今回の私が感じた不愉快な思いを、周りの人に与えないようにしないといけないな、と思った。
しかーし、私は性別に関係なく、自分の生活は自分で支えていくのがキホンだと思っているし、いざというときに自分で何でもできるという自信と強さは、人が人として生きていく上で当たり前のことでしょう、と思っている。誰か頼れる人がいようが、家族がいようがいまいが、自分の生活は自分で支えていくのが当然。なので私は自分がたくましくなったことを素直に喜んでいる。強いっていいことよね。