おとといの土曜日、結婚式で、
ずっと会話をしていたカップルは、
旦那さんがパレスチナ人(国籍はJordan)、
奥さんがイラク人でした。
カリフォルニアでいろいろな人たちと
触れ合っている私ですが、
パレスチナ出身の人も イラクの人も初めて会話をしました。
レバノン人、イラン人は、クラスメートにいたのですが。
何にせよ、こういういろいろなところから来た人たちと
簡単に会話ができるところが、アメリカのいいところの
一つだと、私は思っています。
旦那さんは面白い人で、
奥さんはとてもきれいな人でした。
旦那さんは何だか少し ”Monk” (TV ドラマ) に似ていて、
ずっとイメージが重なってしまいました。^^;
Monkをやった俳優さんは、
お隣のレバノン出身らしいのですが。
パレスチナの人から、パレスチナ(イスラエル)で
あったことを実際に聞く機会があるなんて、
思っても見ませんでした。
皆さんは、もちろんご存知だと思いますが、
1948年にイスラエルが建国されたとき、
そこに住んでいたパレスチナ人は、
突然追い出されてしまいました。
私は昔、歴史でここら辺に興味があったので、
いろいろと読んでみましたが、
どう考えてもイスラエルの建国って、不思議でした。
私が子供の頃は、まだアラファト議長が
活動していた頃で、パレスチナ自治政府が設立されたのも
歴史ではなく、ニュースで知っています。
なので、とても興味深く彼の話を聞きました。
聞いた話は、大体私が理解していたことと同じでした。
とある日、突然、自治体を失うことになったので、
残されたチョイスは二つ。
そのまま残るか、国外へ出るか。
隣国ヨルダンはパレスチナ人のために
市民権を提供したので、彼の家族は
ヨルダンへ移住したそうです。
で、国籍がヨルダンになったわけですね。
奥さんの方は、高校を卒業するまでイラク。
イラクは湾岸戦争の前までは
平和できれいなところだったそうです。
治安も良かったそうです。
でも湾岸戦争によって、すべてが悪化。
そのためヨルダンへ移住したそうです。
イラクももちろん貧富の差はあったそうなので、
恐らく彼女は比較的恵まれた社会環境だったのかも しれません。
で、その後、二人はヨルダンではなく、
ミシガンで出会い、5年前に結婚したそうです。
奥さんが「あと2週間で、5年なのよ。」と
何回も言っていたので、かわいいな、と思いました。^^
二人の共通語はアラビア語なので、
似たようなバックグラウンドがあるようです。
それでも同じ言葉でも、地域によって差があるので、
意味が違うこともあり、時々誤解も生じるそうです。
で、実はヨルダンの辺りは、昔、
スペインの影響も受けていたそうで、
スペイン語スピーカーのうちのパートナーさんと、
ヨルダン人の彼はスペイン語とアラビア語の
共通語がたくさんあることを発見して楽しそうでした。
ここら辺、中国語と韓国語と日本語で
同じ言葉をシェアしている感覚みたいなものでしょうか。
たとえば「乾杯」は、元々中国から来た言葉なので
3か国語で、とても似ています。発音もほぼ一緒。
私は友人に韓国人が多いのと、
会社では中国人の同僚がいるので、
よく共通語を見つけます。
仲良くなると、歴史的タブーも会話となります。^^;
時には冗談ではあるものの、ぎりぎりの会話もあります。
ですから海外へ出ると、
ある程度の歴史の知識は必須です。
特に自分の国の歴史を知らないとなると、
相当恥をかくと思いますね。
また自分の国には直接関係がないとしても、
皆、それぞれの思いで生きていますから、
そういうことへ理解を示すためにも、
一通り大きな歴史の流れや地政学は、
ある程度は知っておいた方がいいでしょうね。
そうしないと、無神経なことを
言ってしまう可能性もありますから。
私は、こういうことがわかっただけでも、
海外へ一度は出てみてよかった、と思います。
あのまま日本にいたら、多分、
経験値も、他の国の人への思慮も、人としての考えも
全然足りていない人で終わっていたような気がします。
日本国内で過ごしていても、こういうことは
得ることができると思いますが、私は無知の塊でした。
私はアメリカへ来る前は、
ほぼ日本人しかいない環境でした。
(少々のアメリカ人&インド人&中国人)
なので、逆の立場から物事を見るとか、
違う世界のことを考える想像力に、
相当欠けていたと思います。
でもアメリカで、世界中のあちこちから
やって来た人と出会い、
いろいろな話をしてきたおかげで、
異なる常識、異なる考え方に触れる機会を得ました。
そのおかげで、日本にいたときとは
比べ物にならないくらい、沢山のことを学びました。
そしてその経験は、毎日の私の考えに
影響を与えてくれています。
アメリカは、住んでそれほど快適な場所ではありませんが、
こうやって世界中からやってきた人と直接、
しかも何気なく普通に話ができる場という点では、
最高の場かもしれない、と思います。
さて、最後に世界にはいろいろな常識がある、
ということを話して締めくくりたいと思います。
ヨルダン人の彼がアメリカへ移住してきたとき、
もらえるはずの給料の額が、計算した額よりも
少なくて納得がいかなかったそうです。
なぜだかわかります?
そう、もちろん税金があるからですね。^^
ところがですね、ヨルダンには
税金なんてないのですよ。
中東の国はそういうところが多いようです。
なので、「税金」と言うコンセプト自体が
全然理解できなかったそうです。
それで雇い主が、「それはね、面倒をみてくれる
Uncle Sam という人がいてね、彼に支払った」と
説明したそうです。(多分、冗談でしょうが。)
で、そのときのそこから名前を取って、
英語名をSam にしたそうです。^^
面白い話ですよね。
税金が当たり前と思っている私たち。
でも世界のどこでも税金があるかと言うと
そういうわけではないのでした。
いろいろと国が変われば、
常識も考えも変わります。
私はここら辺を学べただけでも、
かなーり人生勉強になりました。
なのでこういう風に、いろいろな人が混ざっていて、
いつでもその人たちと触れ合うことができるということが
アメリカのいいところであり、強さであると、思いますね。
10年経って、やっとアメリカのいいところが
見つけられるようになりました。
いろいろと楽しい結婚式でした。
P.S. 昨日の記事の結婚式のビデオは、
アメリカ人に友人に見せたところ、驚いていましたので、
どうもああいうダンスパーティが、
いつも主流というわけではないようです。