絶対話せる!英会話

世の中って…。 (た さんへ)

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ネットで早くもグレードが見れるとことを知り、結果を見てみたら二つ「A」をゲットしていた。宿題をこなしただけの科目だったが(ESLとComputer)とりあえず「A」をいただくと、嬉しい。このブログを利用している皆さんも今週がファイナルだった方が多いみたいだ。それぞれ大変さは違うとは思うが、何だか一緒に頑張った同士のようで、祝杯を挙げたい気分である。「皆さん、お疲れさまでした。」

さて、今日はWalMartへ行ってみた。やっぱり安いのである。靴下は97セント。クラフト用の紐なども25セントである。しかし経済の授業で"Sweatshop"、"developing countriesの現状(私が子供の頃は後進国と呼んでいたが)"、"アメリカ大企業の労働者搾取"などを学んだ後だけに、何だか自分も大企業のProfitづくりに貢献しているような気がしてきてしまった。でもやはり安ければ、安い商品を買ってしまうのである。先日授業で第三世界の発展段階としての"imperialism"というコンセプトについて学んだ。それはDeveloped countries(先進国) と The third world (発展途上国)のトップ同士が潤うという関係を現している。今はまさにこの方向に世界が向かっているらしい。つまり貧乏人はどっちの国でもloserなのだ。何だかそう考えると、何とも言えず不快な気持ちになった。

先日、ペルーから来た友人とじっくり話をする機会があった。彼女は4年前にアメリカへ旦那さんと子供とやって来た。旦那さんがアメリカでMBAを取るためにやって来たのである。そのために必死にペルーで貯金をし、それはもちろんすぐに使い切り、彼が仕事を得るまでは二人ともイリーガルに働いていた。無事に旦那さんがMBAをゲット、どうにか仕事を得るが、それほど生活は未だに楽ではない。彼が仕事を得るまでは親子3人健康保険に入っていなかった。そして今彼女は新しい子供がお腹にいるのである。でも彼女はペルーには帰れないと言う。親戚に電話をしても、絶対に帰って来るなと言われるそうである。ペルーに帰っても、例えMBAホルダーであっても、仕事はないそうである。強力なコネが物を言うらしい。彼女はアメリカに来る前は看護婦として働いていたが、月の収入は280ドル。車を買おうとするものなら、300ドル以上の月々の支払いになるらしい。ちょっとでもいいものを持っていようなら、堂々と引ったくられるほど治安が悪いと嘆いていた。結婚しても、夫婦はアパートを借りることもできない。経済状態が最悪なので、とにかく仕事がないそうだ。しかし政府はあちこちに借金があるそうだ。日本もペルーにお金を貸している国の一つだと言っていた。フジモリ大統領時代の話らしい。いろいろな国の援助金は政府高官の間で回されるだけ。公共投資、経済立て直しには全く使われず、生活はいつまで経っても楽にならない。旦那さんがグリーンカードを取れるかどうかもわからないが、何が何でもアメリカに残らないとやっていけないと言っていた。「私たちには帰るという選択肢はないの。だから自分の意思でこっちに残るか、日本へ帰るか選べるkbtがうらやましい。日本はお金持ちの国だから。」と何度も言っていた。

先日、IMFのSAPについて学んだ。Structural Adjustment Programと言われるもので、借金を受けるため(既に借金苦に陥っている国が対象)IMF主導の建て直し策を受け入れるというものだ。実はこれについてエッセイを試験で書いた。策の柱は、公共機関を民営化する、財政赤字支出を認めない、貿易障壁や規制を取り除く、労働市場の柔軟性を促進するということである。しかし民営化により、ハイチの学校は崩壊が進み、出席率も低下。政府の赤字支出が認められないため、ブラジルでは環境のために使われるファンドが半分に減少。そして労働市場を柔軟にしようとした結果、労働者がクビになりやすい環境をあちこちで作ってしまった。…と、政策はほとんど失敗のような状況らしい。実際1980年から1997年にかけて、Developing countries(途上国)の借金は5倍以上に膨らみ、借金の利子を返済するのがやっと、あるいは返済も難しい状況に陥ってしまっているらしい。もちろんIMFやその他の国々も借金を帳消し策を打ち出してはいるが、既に借金体制に陥ってしまった国を救うのは、少しばかりのwrite offではとても無理だ。友人はペルーはまさにこの状態だと言っていた。そんなに大変な国、大変な人たちがいるのに、一方では贅沢品に囲まれ、あるいは日本の若いお嬢様たちみたいにブランド品を買うのに大金をはたく人たちもいる。一体世の中って、どうなっているんだろう?

私たちは日本に生まれて本当に幸運だ。例え男女差別、年齢差別があろうが、それなりの生活はしていけるのだから。国の外に出ないとこういうことはわからなかった。頭で知っていることとや旅先でちょっと見たことと、実際に親しい友人の言葉では重みが違う。私は恵まれた国に生まれたことに感謝し、今ここで勉強できる幸運な機会を今後も大事にしていこうと思う。

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