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私を動揺させたこと (2)

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私は特定の宗教を持たない。ただ仏教には個人的に興味がある。とてもいい教えだなと思うことが多々あるので、時々仏教に関する本を読む。私が仏教を素直に受け止められるのは、それは私たちの日々の行いに関することだからだ。神がいて神との契約や関係だけで人間が救われるとは私は到底思えない。自分の日々の行動が今後の自分を作っていくことだけを私は信じている。つまりすべては自分次第で自分を信じることだけが自分を変えられると考えている。仏教の教えは日々の行いや心構えについて書かれている。宗教というよりもモラルに近いような気がしている。

私は宗教はこういう心構えや文化の一部だと、今日の今日まで信じていたのだ。Pastorは他の宗教の人がアメリカにやってきても、自分が他の宗教の人にその宗教に加わるように説得されても、また自分が誰かを説得してその人がキリスト教を拒んだとしても、全く構わないと言っていた。なぜなら真実は一つだからだ。元々はエンジニアでそれなりに成功していたらしいが、心が満たされなかったらしい。しかし今は幸せなので、自分がそうなったのだから、他の人にもそうに違わないと信じているそうだ。

私は昨年の2番目のルームメイトを思い出した。細かくて小姑みたいだったアメリカ人の彼ね。彼はクリスチャンが大嫌いだった。それはなぜかと言うと、「真実は一つしかない、他のものは認めない、なぜこんなにいいものを信じないんだ」という姿勢が押し付けがましいからだと言っていた。私は別に勧められたわけでも何でもないのだが、彼の発言の意味が今日初めて分かったような気がした。

Pastorはまたユダヤ教、イスラム教、キリスト教のルーツが同じであることは知っていた。(いや知らなかったらどうしようと思ったが。)そしてこう言った。「全部が正しいはずはない。3つのうちどれかが正しいのだろう。または全部が正しくないということもあり得る。」と言っていた。そうは言っても絶対に“他の宗教が正しい”と思っているはずがないことはすぐに分かる。認めるとは言っても、やはり自分の宗教だけが正しいのだろう。盲目的に聖書の全てが正しいと信じるなんて。それ以外のことは都合よく解釈するなんて。私の価値観からすると、それはあり得ないー!!

今日は一神教の怖さを身をもってつくづく感じた一日だった。日本人の宗教観(恐らく大勢の無宗教の人)と一神教の宗教観はまるで別のものだったのだ。キリスト教であることが、キリスト教徒の心を掴むことが、この国の政治や経済にどうして大事なのかが初めて理解できたような気がする。とある人にとっては宗教は絶対なのだ。そしてアメリカは宗教王国である。毎回選挙の度にどうして中絶問題が争点になるのかもやっと分かった。「そんなの個人の勝手じゃない、何でそんな当たり前の権利について話し合うの?もっと話し合わなければいけない問題なんて沢山あるじゃない。」という私の考えはカトリックの人からみたらとんでもない発言になるのだろう。なぜなら宗教はときには個人の価値観全てを揺るがすことになるからだ。大抵の人は自分の価値観は死守するだろう。

それにしても私はまだ動揺している。ここはカリフォルニアだ。どちらかと言えばリベラルな州だろう。宗教に属していない人もここには大勢いる。私は今後なるべく宗教の活動には参加しないほうがいいだろう。いや、まだ残りのレポートのためにまたどこかのお寺には行かなくてはいけないが。

今日のインタビューと体験、そして感じたことを正直にレポートに書いてみよう。

※ 本日のブログは宗教に関する個人的な見解です。このブログによって気分を害される方がいらっしゃるかもしれませんが、このブログにおいて私は私個人の意見を述べる権利があるものとします。

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