絶対話せる!英会話

クリスマスプレゼント。

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私はクリスマスだからと言ってそれほど特別なことはしない。昔からそうだった。何となくそういう商業ベースのイベントに自分がのせられてしまうのがみっともなく感じていたからだ。もちろん、たまには分かりきっていてのせられて楽しむこともあるが、クリスマスもバレンタインデーも、どこかの会社が売り上げを伸ばしたいためのものだよな、と考えると、あまり自主的に参加する気にはならない。ま、それでも身近にいる人にはプレゼントをあげたりはするが、それは日ごろお世話になっている人へお礼として何かを贈らせてもらうという程度の気持ちだった。

ところがここアメリカでは、皆クリスマス前は狂ったように買い物をしまくる。できる限り皆に何かを買わなきゃ、という強迫観念に取り付かれているかのようだ。この時期はモールで駐車場の空きスペースを探すのも大変だ。何でそんなに買い物しまくるのだろう?物欲がそんなにない私に取って、そういう姿はとても不思議に見えてしまう。

以前、TVでたまたま見た人生相談の内容には噴出しそうになった。「今年ももうすぐクリスマスがやってきます。でも借金があって、プレゼントが買えそうにありません。でもプレゼントは買うつもりです。どうしたらいいでしょう?」という相談内容だった。そのカウンセラーは答えていた。「買うべきではありません。」「でも買わないと、今までの関係が壊れてしまうのではないでしょうか?」「プレゼントくらいで壊れてしまうような人間関係なら、その程度です。」「でも…。」「理由を説明しなさい。今年はお金がなくて買えません、またお金ができたらプレゼントを買うようにします、と。」「えっ、そんなこと…。」「大体あなたは何で借金ができたのですか?」「毎年大量に買い物をしていたからです。」「それにはプレゼントも含まれていますか?」「はい。」「借金をしてまでプレゼントを買ったことはありますか?」「はい。」「今の借金の一部はプレゼントを買ったからできたということですね。そして今苦しんでいる。借金から抜け出すためには、その消費行動を変えないとなりません。今年はプレゼントを買うことを見送りなさい。」と会話は続いていった。(記憶が正確ではないのだが、内容はこんな感じだった。)

いやー、私は借金があっても、まだプレゼントを買わなきゃ、と思っているアメリカ人の感覚に驚いてしまった。そんなにムリしなくても、いいのではないだろうか。大体借金を作るほど買い物するなよ、と思ってしまう。それほどプレゼントは大事なのだろうか。自分の生活を犠牲にしてまで?

アメリカ人のクリスマス前の消費行動は異常だと思う。そんなにプレゼントを買う必要が本当にあるのかどうか、少し考えて欲しい。なぜなら子供たちがプレゼントをもらい過ぎているのが気になるからだ。子供たちは日本人の目から見ると、異常な数のクリスマスプレゼントを大人からもらう。私から見ると、アメリカ中の大人が揃いも揃ってSpoiled Childrenを総生産しているかのように見えてしまうのだ。

例えば一人子供がいたとする。その子の両親、祖父母、叔父叔母、さらに会社の同僚からも、その子供へプレゼントが届く。時として一人が複数のプレゼントを用意することもある。知り合いの子供は5つほどもらったのだが、少なくてかわいそうだったとその子の母親は言っていた。(シングルマザーなので。)なぜならその子のいとこたちはそれぞれ20個以上のプレゼントをもらっていたかららしい。

20個のプレゼントって一体何だ?と言いたくなってしまう。どう考えても、それはもらい過ぎというものだろう。そんなに欲しいものがすぐに手に入る環境を、子供のうちから当たり前として考えるようになってしまったらどうするのだろう?私は、親がすぐに物を与えてしまうことにより、将来その子供達がそれを当たり前と考えるようになり、それが手に入らないときには我慢をすることを知らない大人になってしまうことが怖い。大人になったら思い通りにならないことの方が多い。それに見合った収入を稼ぎ出せるようになれればいいが、またはお金の心配は一切しないでいい環境で一生が終えられるのならいいが、そうでない場合はどうするのだろう?日本の一部の女の子のようにブランド物欲しさに売春でもするのだろうか。

私が育った頃と今は時代が違うし、簡単に比較することはできないのだが、私は自分で買ったものだって、もらったものだって、一つのものを大事に使った。今では自分も軽々しく買い物をしてしまうこともあるが、昔、物を大事に使っていたことを思い出しては反省したりもする。あぁ、あのときはあれをずっと持ち歩いていたよな、とか、その物それ自体よりも、そのときの自分が嬉しかった気持ち、自分が大事にしていた気持ちなどを懐かしく思い出すのだ。

ここアメリカで、子供が毎年20個のプレゼントをもらうとすると、12歳までには240個のプレゼントをもらうことになる。(誕生日もあるので、軽くそれくらいの数には到達しそうだ。)その中で私のように一つのものに対する強い思いが持てる機会はあるのだろうか?物を大事にしようという気持ちは育つのだろうか?

世の中にはそういうプレゼントを一つももらえないどころか、生きることでさえ大変な子供たちがいるというのに、世界の富は本当に一部の国が独占しているのだな、とつくづく思う。一体何を考えてアメリカ人の大人たちは、それほどのプレゼントを子供に毎年あげることがいいことであると考えているのだろう。周りの人があげるから、自分の子供だけ少なかったらかわいそう、と思うのなら、いっそのこと皆で少しずつ減らせばいいのではないだろうか。そうすればプレゼントを買いすぎて借金から抜け出せなくなってしまうという人もいなくなるに違いない。とにかくこの異常なプレゼントの習慣、私は嫌悪感を感じてしまうほどだ。もう少しそれぞれの人にその消費行動が本当に正しいのかどうか、その結果から子供たちがどうなるのかを考えた方がいいのではないかと思う。

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