絶対話せる!英会話

授業が始まった。

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学校初日。どうにかこうにか朝5:50に起き、6:45に家を出た。昨日も書いたとおり、学校までは6マイル。万が一渋滞があった場合には、抜けられる裏道も前日に車で走って確認済みだった。ところが心配した渋滞なんて全くなく、それどころか昼間よりも交通量は少なく、いつもよりも早く20分弱で学校へ着くことができた。ま、遅刻するよりはよかったが。

さて朝一番の授業は、8時からのHistory 8A(Colonial Latin Americaの歴史)のディスカッションクラス。ディスカッションはTAが担当する。私たちのクラスのTAは、African StudiesでPhD.の学生。とてもかわいい女性だ。まだ授業(講義)が始まっていないため、ディスカッションするトピックすらない。自己紹介だけで解散となった。私のクラス(20人)は全員アメリカ人だった。(←こういうのも珍しい。)解散した後、このTAの女性とキャンパスを移動しながら20分ほど話した。

急に二つ目の授業までかなり時間が空いてしまったので、キャンパス内(今まで歩いたことのないところ)をうろうろとしてみた。売店、カフェ、図書館などを回り、どこが一番落ち着ける場所かを探し歩いた。

昨日二つ目の授業は同じ歴史の講義。広―い講堂で行われる。何せ400人の授業なのだ。400人なんて、コミカレで少人数の授業に慣れている私にはびっくりの人数である。聞いている一方だと眠くなってしまいそうなので、前から3列目に席を取った。1列目は首が痛くなりそうだったので。

隣の女の子と自己紹介をし合った。教授は10分ほど前にやってきて、大音量で音楽をかけ始めた。何でもメキシコのバンドらしい。こうやって自分の好きな音楽をいつも授業の前に流すらしい。ちなみにこの後、教授の部屋へ遊びに行ってみたところ、そのときはレゲエがかかっていた。

「歴史には必ず捉え方の違いがある」ということを、教授は力説していた。例えばハリケーンカトリーナで被害にあった(避難しそこなった)のはほとんどが黒人だった。しかしほとんどの黒人はこれを人種差別の結果だと思うが、ほとんどの白人はそうは考えていないという調査を例に挙げ、これだけでも人の見方がこんなに違ってくるものだと説明した。なので歴史は、当事者、または当時国によって、歴史的事実として捉えられていることが異なってくる、ということだ。ま、これは日本とアメリカで歴史の授業を取った私には、とてもよく分かっていることだが、アメリカ育ちのアメリカ人にとっては当たり前ではないのかもしれない。何せアメリカ人は、他の国のことを(他の国の人の考え方も含めて)想像するのがとても苦手な人が多いからだ。

歴史を勉強するということは、事件があった年などを暗記するものではなく、どうしてそういうことが起きたのかを自分で考えるということだと言っていた。こういう考えの歴史の先生でほっとした。私は歴史が大好きだ。歴史の本を読んでいるときは、勉強というよりも趣味で読んでいるような気分にさえなれる。そしていろいろと頭の中にイメージを作ってわくわくする。この授業は私の好奇心にぴったりのクラスのような気がしてきた。

その後、昨日最後の授業へ向かう。今度はINTL DV100A(International Development)の講義。この教授は「自分はパワーポイントをネットにも載せないし、学校側からのオファーされたノートテイキングの許可もしなかった。(ノートは後日学生に売られるためのもの)それは私の授業に対して失礼だからだ。授業に来てノートを取る、それは当たり前のことだし、人が作ったものに頼るなんてそれでは勉強する意味がない。」と言っていた。ま、それはそのとおりだろう。この教授はとにかく、Critical thinkingをすること、ということを繰り返していた。Bachelorの一つはphilosophyだったらしい。うーむ、納得。とにかく自分で考える、さもなければ勉強する意味がない、という考え方の方らしい。その考えには私も同意する。

この教授はナイジェリアでのフィールドワークが多いらしく、授業で使われる1冊のテキストはこの教授によるもので、ナイジェリアに関する本だ。教授はアフリカで3度ほど刑務所にも入れられた経験があるらしい。「Excitingな場所だった。」と言って学生の笑いを取っていた。実際に現場に行って体験をしている教授から授業が学べるというのは、学生にとって幸せだ。

このクラスでは数人を既に知っている。オリエンテーションが同じ日だった人たちだ。オリエンテーションの日にずっと一緒に行動していた女の子と再会した。彼女はお父さんがイラン人、お母さんがイギリス人で、ルックスが本当にゴージャスな女の子だ。しばらくおしゃべりをしていたのだが、昨日は少しナーバスになっていたようだった。へぇ、英語に問題がない彼女(英語が母国語なので当たり前)、しかもサンタモニカカレッジからのトランスファー学生でも(つまりLAが地元でも)、初日は心配になるのかと思った。「そっか、ネイティブの学生でも多少は不安になるのか」と思うと、何だか少し安心する自分がいた。私にとって心配は英語だけであり、それ以外では自分では何も不安になる要素は全くない。初日は分からないことだらけで多少はとまどうものの、最終的にはなるようになるさ、と思っているのは、実は年の功なのかもしれん、と彼女を見て思った。

さて授業の後はHistoryの教授の部屋へ行き、数人の学生と教授と歴史、宗教の話などをした。この教授は本当にフレンドリーな方だ。そのせいか次々に学生が遊びにやってくる。

その後私は学校内で売っていない教科書を買うために学校を縦に往復した。教室、本屋、駐車場それぞれが遠かったので、50分ほど歩かなければならなかった。日ごろ全く運動をしていない私は歩いている内にスネが筋肉痛になった。ちなみに私の駐車場から教室までも20分ほどはかかる。これからはとても健康的な学生生活が送れそうだ。

歩き回ったため、早起きしたため、緊張していたため、全ての要素がからまって昨晩は何と夜の7時前にベッドに行き眠ってしまった。今日になっても気だるさがまだ残る。怠けきっていた体が慣れるまで、しばらくかかりそうだ。しかし久しぶりの学校は楽しかった。学校内を歩いていても、本当にこの学校の学生になったのだと思うと、とても興奮した。

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