絶対話せる!英会話

インド史。

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今日は新しい部屋の鍵をもらってきた。新しくルームメイトとなる女の子の一人とも部屋で会った。初対面にも関わらず、とても話が弾んだ。いつも思うのだが、大阪出身の人は本当にフレンドリーで、話がしやすくていい。

部屋は今日からもう使えることになったので、冬服一式とカバンと靴をついでに運び入れた。こういう物たちはダンボールに入れてしまうと、また出すのが面倒なので、そのまま運べるものは、土曜日までに少しずつ時間をみて、搬入しておこうと思っている。その方が後がラクだ。

さてのんびりしていた週末だが、一応リーディングだけはしていた。インドの歴史なんて、インダス文明、ガンジー、カースト制度、イギリスによる植民地化、仏教発祥の地、ヒンドゥー教くらいしか知識のない私だったので、インドの歴史の本(日本語)を2冊ざっと斜め読みし、グーグルして大まかなことを頭に入れた。そして授業の本や、指定されたウェブページなどを読んでいた。

この授業はインドの独立の少し前から始まる。つまりガンジーの人生後半の活動あたりからだ。先週2回の授業を終えて、驚いたことは、パキスタンとインドが分かれてイギリスから独立する際に、大虐殺があったということだ。ガンジーやナルー(インド最初の首相)は、民族や宗教を超えてのインド統一を目指していたのだが、段々とそれが難しくなった。ジンナー(パキスタン建国の父らしい)は、ムスリムがインドの中で軽んじて扱われることには対抗し、結果パキスタンとして独立することになった。この間にいろいろな問題が起こったのだ。

1946年、ジンナー(ムスリム連盟)は、会議派(=インドの政治の中心にあった政党)に対して強く出るために、8月16日にゼネストを決めていた。しかしこれが元になり、暴動と虐殺が始まってしまった。8月16日から20日にかけての「カルカッタ大虐殺」では、ヒンドゥーとムスリム合わせて4000人が殺され、数千人単位の人が家を失い、傷を負った。そしてそのすぐ後に他の地域で、7000人のムスリムが殺された。さらに他の地域では、数千人のヒンドゥーが殺された。

その少し後、1947年にパンジャーブ州では、ムスリム連盟が選挙で勝った。しかし10議席しか取れなかった別の政党・会議派・スィク教徒が連立して政権を取ることになった。ジンナー(ムスリム連盟)はこれに不服を申し立て、3月にこの政権を倒した。しかしこれが元になって、パンジャーブ州での大虐殺が始まった。

この暴動では、数10万人~100万人もの死者が出た。電車で逃げた難民は、待ち伏せされ皆殺しとなり、終着駅に着く頃には、電車は数100人単位の死者を乗せていたらしい。そしてインドとパキスタンが分かれることになったときには、パキスタン側にいたヒンドゥー教徒はインド側に、インド側にいたムスリムはパキスタン側へ、大移動が起きた。このときに多くの女性が誘拐された。殺された女性もいたが、反対勢力の元で戦利品として結婚させられたケースもかなりあった。そのため、女性たちはヒンドゥーであっても、ムスリムとなり、そこで家庭を持つことになった。(逆もあり。)こうして誘拐された女性は4万人から5万人もいたらしい。そして彼女たちはそれなりに新しい文化、宗教の中で暮らすことになった。しかし、しばらくしてから、両国が女性たちを取り戻そうとした。多くの女性たちは、戻ることを拒んだが、両国の政府がそれを許さなかった。

またインドには独立時、500以上の小国があった。(これらの国の王様がマハラジャ。)これらの国はインドへ入るか、パキスタンへ入るか、自分たちの国で決めることになった。しかし中には王の宗教と、一般市民の多くの人たちの宗教が異なることもあった。その中の一つが有名なカシミール。ここは王がヒンドゥー経だったが、住民の多くはムスリムだった。王が選択に悩んでいたとき(なぜならここはちょうど両国の境)、パキスタンのゲリラが攻撃をしてきたため、王はインドへ入ることに決めた。インド側は王に誓約書にサインをさせ、インドに加入することに決めた。ところが、住民のほとんどはムスリムのため、パキスタン側は住民投票をするべきであると主張した。しかしインド側はこれを認めなかった。そしてこのカシミールを巡って、インドとパキスタンは3度戦争を起こしている。

パキスタンは、はじめは東パキスタン(今のバングラデシュ)と西パキスタンの飛び地で独立した。なぜなら東パキスタンにもムスリムが多かったからである。西パキスタンの辺りで起こったのと同様に、かなりの数の大移動が東側でもあった。バングラディシュはその後、第三次印パ戦争の後、独立した。このときの印パのインドの圧倒的な勝利により、パキスタンはインドに対抗する何かが必要になった。自分たちよりも強いインドと対抗するため、その結果、核を持つことが大事と考えるようになったらしい。

パキスタンは、ソ連のアフガニスタン侵攻が起こったときに、ソ連と対抗していたムスリムを応援し、アメリカはソ連を止めなければならなかったため、イスラム勢力を支持した。今では敵のアメリカと、このイスラム勢力だが、元々は彼らにパキスタン経由で武器を与えていたのは、アメリカである。(私はこういうアメリカの冷戦時代の外交政策ゆえに、アメリカに対していい印象を抱いたことは一度もなかった。)

ソ連が撤退した後、残されたのはタリバンと、それからイスラム原理主義の影響を受けてしまったパキスタン。そして取り返しのつかない敵を、自分の手で作り出してしまったアメリカ。そのため私はアメリカがアフガニスタンへの派兵を増やすというのは、後始末をするという意味で当然だろうと思っている。

パキスタンは原理主義の影響を多く受けてしまった結果、今では世界一自爆テロが起きる国に成ってしまった。先月からのニュースを見てみてもわかるとおり、ここのところ毎週テロがパキスタン国内で起きている。世界で一番危険な国と言われてしまっても仕方がない状況である。

と、こんなことを週末でざっと読んだ。そして今は1989年からの「Power and Contestation」という本を読み始めた。これは1冊丸々今週中に読め、という指示が出ていた。しかし、実は昨日まで気づかなかったんだな、これが。というわけで、慌てて読み始めた。

そうそう、先週どうしようと考えていた環境問題課題2つ。とりあえず、一つはバングラデシュにしてみようかと急に思い突いた。今、興味が南インドに向いているので、ちょうどいいのではないか、と思った。そのための宿題が明日提出。なので、これから気候変化とバングラディシュへのペーパーを読もうと思う。

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